索 引 

◆連載「組版夜話」 2020/07~

索引 第1話~第21話
第22話 2021/05

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2025/01/21 中野敏男『継続する植民地主義の思想史』学習ノート(4)

 (2)で金斗鎔「日本における朝鮮人問題」(1946.2)にふれたが,日朝共同闘争の端緒を開く実例として挙げられている常磐炭礦のストライキ(ここには戦前,山代吉宗の革命伝統が生きている!)に長澤秀の先行研究がある。

 長澤はこの闘いに「日朝労働者階級間の連帯の前芽」((2)pp.89-90)をみているが,あわせて闘いの問題点として「指導部の民族問題軽視」が闘いに悪影響を及ぼしたと次のように書いている。
…日本共産党の階級闘争路線に基づいた金斗鈴ら闘争指導部の民族問題軽視が闘いの発展に悪影響を及ぼしたことである。金と今村らは「いくら民族的な利益が重大 だからといって,これを階級的利益と混同するわけにはゆかない。両者が矛盾する時には階級的利益のためには民族的利益はすてねばならない」との基本方針で,常磐炭田の朝鮮人の闘いを指導していたと思われる。その結果,「天皇制の打倒」(日本共産党行動綱領第一条)など当時一の日共の政治方針の一部がそのまま常磐炭田の朝鮮人の問争指導に持ち込まれた。従って朝鮮人鉱夫の闘いを「日本革命」の起爆剤として利用しようとする姿勢は見られても,そのぶん,常磐炭田の朝鮮人達が当面する民族的利益を優先的に獲得しようとする姿勢は弱くなった。この急進的な「天皇制打倒」スローガンは,一〇月二九日の演説会中止,解散の直接原因となったり,民族排外主義を煽る日本人右翼勢力に格好の日実を与える結果となり,運動の発展にとって甚だ不利に作用しただけだったといえよう。(同論文(2),pp.91-92)
 私は,この長澤の評価は闘いの局外からの後知恵でしかないと考える。天皇制打倒こそが,当時の日朝の労働者人民をつなぐスローガンだったのではなかったか。同じ事実をみながら対立する評価(しかも40年後!)が生まれる。われわれの立場はどこに置くべきか。かつて増淵龍夫(1916 - 1983)は『歴史家の同時代史的考察について』(岩波書店,1983)で,歴史の理解や解釈における基底として「過去と現実とが,時間を超えて,追体験による内面的理解によって主体的に交流」することを強調して,次のように書いた。
そこで,歴史が意識されるのは,過去それ自体としてではない。また,過去にすべての価値をおいて,現実と自己とをそれにあずける,という意味で,歴史が問題とされるのでもなければ,又,未来に価値をおいて,時間の経過を,価値実現の過程として,考えるのでも,もとよりない。そこにおける歴史の理解は,当面している現実の問題を歴史の中に見出すことである。現実の体験にもとづいて,歴史を追体験的に理解することであるが,そのことは,同時に,局限された現実とそこに生きる自己を,より展望のきく歴史の舞台にうつして対象化することを意味し,そのことによって逆に,歴史によって現実と自己をたしかめる,という相互作用がなされるのである。(同書pp.100-101,強調は引用者)
 そのとおり。われわれが歴史に学ぶのは,常磐炭礦ストライキや阪神教育闘争から日朝連帯の芽がいかに存在したのか,またしなかったのかを歴史的客観的事実を確かめ,肯定否定の何を受け継ぐのかを考え,生かすためである。
 かつて釜共闘の闘いがぶつかった課題,すなわち争議において闘う労務者が在日朝鮮人親方や手配師と対峙するとき,いかに排外主義を克服すべきかという問題でもある。かつて関東大震災時の朝鮮人虐殺から直近の斎藤・立花による百条委員会攻撃まで連綿とつづく差別,排外主義の克服を,権力やSNSに「騙された」という被害史観(騙されたという被害,受け身の総括にとどまっていれば,再び三たび騙されてしまうだろう)でなく,なしとげる必要がいま,ある。 (つづく)
 (M)

2025/01/18 中野敏男『継続する植民地主義の思想史』学習ノート(3)

第4回党大会(1945年12月1日-3日)で天皇制打倒・人民政府樹立と朝鮮独立・解放とを結びつけ国際主義を掲げた日本共産党は,第5回党大会(1946年2月24日-26日)行動綱領をへて,第6回党大会(1947年12月21日-24日)行動綱領では第2項の「朝鮮の完全なる独立」は削除され,第27項の一部に「朝鮮および南方諸国の完全な独立」とあるのみ。著者は【天皇制の打倒と朝鮮の完全なる独立とを「党の根本目標」とする路線から,「ポツダム宣言の厳正実施」を,それゆえ日本の主権回復と日本人の間での民主主義確立を最重要目標にする路線への転換】(322頁)とし,【戦後憲法体制内の政党になっていく】(321頁,強調は著者による傍点)と評しているが,的確である。
 他民族を抑圧する民族は自由であり得ないという労働者階級の立場からすれば,イギリスの労働者階級にとってのアイルランド解放,フランスの労働者階級にとってのアルジェリア解放がそれぞれ自己を解放するために不可欠の前提条件であるという考えと同様に,「朝鮮の完全なる独立」という目標を不可欠な前提としなければ日本労働者階級の自由はあり得ない。


国鉄吹田操車場構内を行進するデモ隊(出典:現代の理論第32号

 第5回全国協議会(五全協,1951年10月16日-17日)で採択された「日本共産党の当面の要求——新しい綱領―」(51年綱領)をみてみよう。ここでは「一,民族独立と日本の主権を確保するポツダム宣言に基ずく全面講和。」をはじめ32項目が「日本共産党の主張する当面の諸要求であり,この諸要求の実行こそが,日本国民を,奴隷と貧困の状態から救いだすもの」として掲げられた。天皇制打倒・人民政府樹立は「五,天皇制の廃止と民主共和国の樹立。」に順位を下げ,朝鮮独立・解放はどこにも書かれていない。51年綱領をふりかえる際,ともすれば武装闘争自体の是非が問題にされがちであるが,武装闘争は誰に対する何のため誰のためのものだったかのかが問われねばならない。それは朝鮮戦争(1950年6月25日-1953年7月27日)におけるアメリカ帝国主義に対する朝鮮人民を支援する闘争であり,アメリカの重要な後方基地の役割をはたす日本の国家権力に対する闘争であり(→「朝鮮戦争と吹田事件―吹田市立博物館所蔵資料の特色―」),革命を成就した新中国をはじめ世界の労働者人民による抗米援朝闘争の一翼を担った闘争だったのである。
 国際主義か排外主義か,最大の問題はここにある。 (つづく)
 (M)

2025/01/13 映画『シュシュシュの娘』(入江悠監督)に惚れた

『シュシュシュの娘』は2021年の日本映画(配信はAmazonプライム,U-NEXTほか,→予告編)。映画という表現の力を見せつけられた思いである。
 2023~24年,関東大震災での朝鮮人虐殺を扱った報道から映画まで量的にはかなり出され,宗主国日本の加害の歴史の啓蒙,啓発にはおおいに力になったとは思う。しかし,私の気持ちのなかにはすっきりしないものがずっと残っていた。「権力のデマにおどらされた」といっても,はたして八百屋や魚屋のおじさんたちが見ず知らずの人間を殺すことができるものなのか(歴史学で真正面からこの問いに取り組んだのが愼蒼宇『朝鮮植民地戦争』だ)。話題になった某映画をはじめ,読む者,観る者にとっては,どこまでも現在ではなく過去のこと,他人事なのである。そうした作品を作っている者は,自分はそんな馬鹿な残虐なことはしないよと高みから眺めているように私には思え,蟠(わだかま)りはずっと解消しなかった。権力のデマにおどらされたという見方,考え方は愚民思想,大衆蔑視であり,その見方,考え方では民衆は再び三たび「おどらされ」てしまうことはほぼ間違いない。事実,朝鮮学校の高校無償化からの排除が「民意」であるかの,この現実は何ひとつ変わっていないではないか。

 映画では,「仕事はそこそこで,息をひそめるように生きている」鴉丸未宇(からすま・みう,市役所勤務,25歳)は「みんなやってんの,国も県も。市役所だけが公文書の改ざんダメって理由ないでしょ」という集団的同調圧力のなかで独りぼっち。同じ役所の先輩・間野幸次が外国人移民排除条例制定をめぐる理不尽な「文書改ざん」を命じられた末,市役所屋上から飛び降り自殺する。「その日,私は変わった」未宇は,祖父・吾郎の「仇をとるため,改ざん指示のデータを奪え」という言葉に従って,“忍者”として立ち上がる。……武器は「普段から目立たないこと」という設定はとてもいい。が,「もし君の呼び声に 誰も答えなくとも ひとりで進め」というのはあまりに厳しい,がこれが日本の現実だ。外国人移民排除に反対し共に生きていこうと志す産廃業のおじさんは袋叩きにあい,市役所の公務員たちはみんなで明るく市長を祝賀する。赤木俊夫さんを独りにしてしまったのは同僚であり,二人目,三人目は出てこなかったではないか。「公文書改ざん」「外国人移民排斥」から「さくらを見る会」までリアルな笑えぬ笑いは観る者の心を刺す。お前は二人目,三人目になれるのか,と。
 ここに現実を描き現実と格闘する表現の力がある。ぜひ見てほしい。 (M)

2025/01/12 中野敏男『継続する植民地主義の思想史』学習ノート(2)

学習ノートと改題し,中野敏男『継続する植民地主義の思想史』を読みつづけたい。
 「七章での,日本共産党が戦後,植民地主義との闘いから後退していった経緯」を著者は,『前衛』創刊号(1946.2)掲載の金斗鎔「日本における朝鮮人問題」の検討から始めている。
 金斗鎔は,「朝鮮の完全な独立,人民共和国建設」を「「天皇制打倒」に結びつけること」を主張し,「「天皇制打倒」の問題に対し多くのわれわれの同志たちは…非常に消極的であり,場合によっては民族統一戦線の名によつて,或は反対する排外的民族主義民族主義勢力のわれわれに対する脅迫にあつて,この中心的スローガンを一時なりとも背後に押しやるがごとき傾向を示してきた」と批判している。そして「天皇制を打倒しなければ,われわれ自身の解放があり得ないこと,そのために日本の人民解放闘争に参加するやう一切の機会を捉へなければならない」として,日朝共同闘争の端緒を開く実例として「常磐炭礦のストライキの時,その闘争によつて獲得した食糧の一部分を日本人労働者に分け与へたことが,日本人労働者によつて朝鮮人労働者に対して非常な好感を抱かせ,また非常な好評を博した事実」を挙げている。基本主張は,「一切の民族的偏見乃至政治的無定見に対して,当面もつとも闘争の鉾先を向けねばならない」「かゝる民族的偏見に対する闘争はわれわれにとつても,また日本人側からも双方から行はるべき性質のものであることは今更言ふまでもない。」というところにあった。
 この国際主義の立場は,日朝党員の一致した党としての見解であった。1945年12月1日,第4回党大会が採択した行動綱領の全25項の冒頭2項で明らかにしている。

一,天皇制の打倒,人民共和政府の樹立。
二,ポツダム宣言の厳正実施,民主主義諸国の平和政策支持。朝鮮の完全なる独立。労働組合の国際的提携。
 著者・中野敏男は【この項目は…「人民に訴う」(十月十日)という文書にも…第一回全国協議会(一全協 十一月八日)で作られた「行動綱領(草案)」にも,まだ無かったのである。そこから推定できるのは,この「朝鮮の完全なる独立」という課題が,一全協から第四回党大会までの間にあったなんらかの路線上の議論,おそらく金天海や金斗鎔など朝鮮人党員も加わって進んだはずの議論を経て,ようやく行動綱領に書き加えられたのだということである。そして,それにより,この党の行動綱領は,この形で植民地主義との闘争を具体的に明示することになっている。】(318頁,強調は著者による傍点)と書いている。
 ときは,阪神教育闘争の2年半前であった。 (つづく)
 (M)

2025/01/09 中野敏男『継続する植民地主義の思想史』を読もう(1)

中野敏男『継続する植民地主義の思想史』(青土社,2024年12月)は,「戦後」様態を変えて継続する日本の植民地主義に真正面から取り組み,「植民地主義の継続がどのような思想によって支えられてきたのか」(序章)を明らかにすることによって,植民地主義と闘って国際主義をめざすための闘いの手がかりを読者に与えてくれる。
 目次を紹介すると―――

 序章 継続する植民地主義を問題とする視角
第一部 植民地主義の総力戦体制と合理性/主体性――合理主義と主体形成の隘路
 第一章 植民地主義の変容と合理主義の行方――合理主義に拠る参与と抵抗の罠
 第二章 植民地帝国の総力戦体制と主体性希求の隘路――三木清の弁証法と主体
第二部 詩人たちの戦時翼賛と戦後詩への継続
 第三章 近代的主体への欲望と『暗愚な戦争』という記憶――高村光太郎の道程
 第四章 戦後文化運動・サークル詩運動に継続する戦時体験――近藤東のモダニズム
第三部 「戦後言論」の生成と植民地主義の継続――岐路を精査する
 第五章 戦後言説空間の生成と封印される植民地支配の記憶
 第六章 戦後経済政策思想の合理主義と複合化する植民地主義
第四部 戦後革命の挫折/「アジア」への視座の罠
 第七章 自閉していく戦後革命路線と植民地主義の忘却
 第八章 「方法としてのアジア」の陥穽/主体を割るという対抗
第五部 植民地主義を超克する道への模索
 第九章 植民地主義を超克する民衆の出逢いを求めて
 結章
 以下は,この本から学んだ私の学習ノートである。

 もっとも深く共感,同意したのは,「第七章 自閉していく戦後革命路線と植民地主義の忘却」である。すべての章(とくに第五章)で,「戦後」が戦前戦中から連続するなかで,加害の封印と被害の再覚醒として植民地主義が継続・再編されたと重要な指摘がされているが,七章での,日本共産党が戦後,植民地主義との闘いから後退していった経緯の検証には強く頷かされた。著者は,金斗鎔の国際主義を当時の歴史的条件を内在的に考察して再評価し,日本共産党の後退を宗主国共産主義者の誤りとして捉えている。野坂参三帰国から51年綱領,六全協への経緯のなかで天皇制打倒が後景においやられていく経緯の記述は,類書にない説得力があり,これは「継続する植民地主義」と対峙する著者の立場,歴史観の確かさによるもの以外ではない。
 著者のこの指摘から私はレーニンによる社会排外主義批判を想起した。当時の日本共産党は「プロレタリアートが小ブルジョア的人民から「孤立する」という恐怖」から「全国民的革命」という誤り(愛される共産党!)に陥ったのではなかったか。レーニンは,「大衆」を引合いに出」すことによって「われわれは大衆や大衆組織から切りはなされたくはない,と」の詭弁を弄するカウツキーを批判した(『全国民的革命の問題について』1907)。レーニンはまた,帝国主義は超過利潤によって労働者の上層を買収するので「資本主義のもとでプロレタリアの大多数を組織に加入させうると,本気で考えることはできない」と断じ,「われわれがひきつづき社会主義者でありたければ.もっと下層に,もっと深く,真の大衆のところにはいっていくこと」と訴えた(『帝国主義と社会主義の分裂』1916)。 (つづく)
 (M)

2025/01/08 阪神教育闘争・朝鮮学校弾圧と天皇制

1948年4月の阪神教育闘争は,日朝共同闘争の歴史的に意義深い闘いである。アメリカ占領軍による非常事態宣言という弾圧は,在日朝鮮人の生きる権利・学ぶ権利に対する弾圧であり,戦後日本の管理教育(=継続する植民地主義教育)の出発点でもあった。
 原武史『象徴天皇の実像 「昭和天皇拝謁記」を読む』(岩波新書,2024年10月)から天皇ヒロヒトの証言をひろっておく。ここには,アメリカ帝国主義とその目下の同盟者である日本独占資本の朝鮮観が露骨にあらわされている。

朝鮮人の学校の問題など,私の仮装行列とかいふ事件はもつと世の中にパツトなつた方がいゝ位だとの仰せ。(中略)あゝいふ学校はつぶした方がいゝ。大体国費を使つて赤の学生を養成する結果となるやうな大学もどうかと思ふが,こんな朝鮮の学校に国帑を費す事はどうかと思ふ(一九五三年一一月二四日) (同書pp.54-55,強調は引用者)
 なお,「国費を使つて赤の学生を養成する結果となるやうな大学」とは,原の注記によれば東京大学や京都大学を指す。

 「昭和天皇拝謁記」には随所に色濃い反共思想と,侵略戦争による朝鮮中国アジア人民に対する加害に対する居直りが露骨に表明されている。日本の左翼運動が天皇制打倒のスローガンを降ろしていった過程はまた,「継続する植民地主義」に屈して,日朝連帯の旗を降ろしていく歴史でもあった。 (M)

2025/01/06 中岡哲郎さんの一周忌に際して

1月6日は,技術史研究者・中岡哲郎さんの一周忌である。中岡さんは,生きた思想としての毛沢東主義者であり,技術と人間について考えて続けてきた私の先生であった。
 『人間と労働の未来』 『技術と人間の哲学のために』から技術は誰のため何のためという立場が決するものだと学び,『もののみえてくる過程』から感性的認識を出発とするマルクス主義認識論を教わった。『技術の論理・人間の立場』からは,日本の左翼運動の弱点である組織論を学んだ。また,『日本近代技術の形成』 『近代技術の日本的展開』にまとめられた日本の労働者・技術者の革命的伝統から励まされた。
 肉体労働における産業革命に比すべき精神労働における産業革命としての「IT革命」について,労働者の団結をつくる土台としての共同性を見いだす困難はいかに打破すべきか,ぜひ直接うかがいたいと思ってお手紙を出したが,すでに中岡さんは病床に伏しておられ直接教えを乞うことができなかった(百合さんからお返事をいただいた)。かえすがえすも残念で悔しいことだった。 (M)


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