繙蟠録 I & II
 

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繙 蟠 録 II 2023年2-4月

2023/04/12 読書会『抗日パルチザン参加者たちの回想記』ごあんない

1930-40年代,日本の侵略に抵抗した朝鮮人民による抗日武装闘争の記録を読もう。

  • 5月20日(土)午後1時~4時
  • 東京・赤羽北区民センター(JR北赤羽駅徒歩1分)第1和室
  • 参加費 500円(要予約)
  • 主催 前田年昭 電話080-5075-6869
            tmaeda1966516@gmail.com

労働者・鈴木武さんが「この人たちを永遠に生かすために」という思いで30年余かけて全12巻を完訳しました。そこには限りある生を生きるための糧となる感情と思想があります。
このほど刊行された『翻訳と連帯(同志社コリア研究叢書5)』(非売品)に,『回想記』全264話から特選集として28話がおさめられています。電子版が,発行元の同志社コリア研究センターのウェブサイト https://do-cks.net/works/publication/korea05/ で無料公開されており,閲覧・ダウンロード・印刷は自由です。
まず,今回は13話,14話,15話について,感想や意見の交流,討議を行います。働きながら学ぶ皆さんと共に読み,話し合う場を持ちたいと思います。ぜひご参加ください。

↓ 画像をクリックすると,案内チラシ表裏pdfを読むことができます。 (M)

2023/02/07 「分業にもとづく協業」の力

新聞社では,組版をやる人やグラフィックをやる人と印刷機をまわす人とは直接の関係はなく,顔を合わせることもない。それでも一定の品質の紙面が毎日できあがる。これはすごいことである。分業にもとづく協業の力である。フォーマット(組版の基本設計)の力,すなわち12字72行12段(むかしなら15字92行15段)の力でもある。
 出版はかなりちがう。企画から編集(場合によっては組版まで),営業までひとりでやったりする。とはいっても印刷と製本は工場に出すし,配本も取次に託すが,前工程はDTPによってひとりででもできるようになった。活版期には植字/組版は,製版とともに工場における協業の一翼だったものが,工場を出たわけである。

 中野重治は『空想家とシナリオ』(改造社1939,講談社文芸文庫1997)で次のように書いた。

本はどうしてつくられるか? そこの山に樅の木が生えてゐる。それが伐りたふされる。挽かれて細粉になる。それが工場へ行つて紙になる。ここにボロがある。それが集められ。精撰され,そして同じく工場へ行つて紙になる。そこに山がある。鉱石が掘り出される。それが精煉されて鉛が取り出される。それが活字になり,それが工場へ行つて文字印刷の基礎になる。そこに汚い街があり,そこからぞろぞろと労働者が出て来て,そこで彼等が組んだり印刷したりし,そして活字のために鉛から来る病気になり,それから別の汚い街があり,そこで半分家内工業的なやり方で製本がなされてゐる。

 工場の力とは,分業にもとづく協業の力である。一人が始めから終わりまですべてをやる作業ではない。活版では,文選―植字―印刷―製本という分業が,DTPによって前工程,つまり文選と植字がまとめられて,1台のパソコンによる作業で置き換えられた。文選工と植字工は同じ現場で隣り合っていたから,文字の拾い間違いを補い合うこともできたろう。書き手は,校正の際には植字工の手間を思って,入朱による1行減がページを渡ることがないように,別の挿入や新たな改行を入れることもあったろう。
 工場を出た植字/組版は一人でやることになって,入ってきたテキスト(いまは専ら書き手の入力したデータ,ちょっと前なら手書き原稿からの入力専門者)を版に仕上げるまで一人でやることになる。書き手や編集者は,物理的に同じ現場にいるわけではない(ことが多い)から,活版のときの校正者のように“やさしく”はない(ことが多い)だろう。……と書き進んできたが,植字/組版などプリプレスでの協業は,印刷機による印刷という労働からみれば,前段階の補助的労働である。植字/組版は,コンピュータ化によって大きく変わり,協業から一人での作業に戻った。印刷工は重い鉛版を運ばなくてもよくなり,植字/組版工もまた肉体的負担は減った。しかし,パソコンは労働者を労働から解放するのでなく,労働を内容から解放する。機械を使うのではなく機械に使われるようになる。

 話が脱線するが,ここで気になるのが,活版から写植へ(手動機から電算へ),そしてDTPへという道具の変化のなかで,同じ人が古い道具を新しい道具に切り替えて仕事を続ける例は多くはなかったのではないか。また,そのたびに,組版の基本は継承されることなく切れていったのではなかったか。だとすれば,技能でなく技術を継承していくにはどうすればいいのだろうか。(M)

2023/02/06 電算写植のコトバ

電算写植のコーディングとは,テキストに組版の指令(ファンクション)を入れて,組み処理機におくるデータをつくる作業である。ファンクションとは,人間のコトバからコンピュータのコトバへの橋渡しをするコトバであり,SAZANNA-SP313の場合,116項ある(『SAZANNA-SP313データ作成マニュアル』写研,1989-1990)。自動発生ファンクションもあって,日常は約100のファンクションを覚えればよい。
 手動写植の熟練職人だった方であっても,これになじめない人もおり,手動写植職人がみな電算写植コーダー(=コーディングする人)になったわけではない。電算写植にもDTPにもなじめず,「コンピュータは苦手」と言って植字/組版から離れていった人も少なくなかった。私の場合,植字/組版を始めたのが激動激変の時期で,活版も手動写植もほとんど身につける間もなくオロオロするばかりだったから,逆に,道具に依存しないで文字を配列する原理,ルールに興味関心が向いた。これが電算写植のコーディングにすんなり入っていくことができた理由だったのだと今にして思える。同僚は写研の教室に通ったが,私には先生はおらず,前記マニュアルや出力センターが出していたガイド本を読んで覚えた。『(書名失念)』(東京リスマチック,刊年不明),『コーディング・パーフェクトガイド』基礎編・応用編(帆風,1991-92),『パソコンで始める電算写植』(日本ハイコム,1990-91)など。そのほか『SKコーディングガイド』(アルクス,1990),『How to C.T.S.』(写研)はたいへん役立った。

 SAPCOLは,分かりやすく読みやすい組版を体現する組版言語として,いまだに最高のものである。それだけでなく,人間のコトバをコンピュータのコトバに橋渡しするコトバとしてもすぐれている。すぐれているというのは,簡にして要を得たものだということだ。一例を挙げれば,ルビで [(]親文字[)][ルビ][(]ルビ文字[)]で,親文字やルビ文字が1字の場合は[(][)]は省略可。これだと 漢[ルビ][(]かん[)][ルビ]じ となる([ ]がファンクション1文字。肩付きか中付きかなど体裁は別途指定)。これに対してHTMLは,より機械のコトバに近く <ruby>漢<rt>かん</rt>字<rt>じ</rt></ruby> と必ず終了タグを入れる。機械のコトバの理屈としては開始があれば必ず終了が要る。しかし,機械とちがって人間は忘れるものだ。デフォルトさえしっかりしていれば組処理機側で自動処理すればよいことだから省略すればいい。SAPCOLでは一事が万事こうなっている。コーディング結果は出力するまで見えず分からないことは短所ではあろうが,論理的な組版が成立する。逆に,WYSIWYGで見たとおりに文字を置けるということは便利で長所でもあるが,論理が立ってなくてもとりあえずできた気分になってしまう。一例を挙げれば,写真に対するキャプションの配置について,昨今は「見たまま」で「てきとう」に置いたものが多く,左揃えで1mm(=4H)アキ」とかすら揃えられていないものが何と多いことか。 (M)

2023/02/04 植字/組版史における電算写植の位置

私が本格的に植字/組版の仕事をしたのは,電算写植からである。活版は見習いにすぎなかったが,私が初めて体験した工場労働だった。手動写植は「見た」だけといってよい。電算写植には工場の匂いがした。この感じ方は私だけでないはずだと思い続けてきたが,戸田ツトムが鈴木一誌との共著『デザインの種』(大月書店,2015年)で【デザイナーから見ると,電算写植は,文字がまた工場のなかに入った,という印象だった】(p.196,傍線は引用者)と語っている。
 労働の能力が,個々の人間の身体と一体になった職人の世界は,一方ではこしらえることの実感が伴う豊かさがあったが,他方では封建的ともいえる主従関係や精神主義(気合いと根性!)を伴っていた。技能的な熟練を解体していく歴史の流れは,前者の豊かな労働とともに後者の世界も解体していく。私は1990年代には東京写真植字協同組合第7支部の一員だった。当時の写植業者仲間の顔とともに,業態のあまりに急激な変化に対応するために「組合名を写植組合からDTP組合に改称する」案が“まじめに”討議されたことを思い起こす(その後,全日本写真植字工業会は,全日本DTP工業会へと名称を変更,2001年には,日本写真製版工業組合連合会と統合して日本グラフイツクコミュニケーシヨンズ工業組合連合会になった)。

 植字/組版の分野にコンピュータ化の波が及んだことによる変化は,金属加工の分野で汎用旋盤からNC旋盤へ変わったことによる変化と比較して,どこが同じでどこが違うのか。職人の技能的なワザは公開的な技術へと変わったのかどうか。電算写植とDTPは植字/組版の何を変え何を変えなかったのか。

 技術史家・中岡哲郎さんは,先んじて『人間と労働の未来』(中公新書,1970年)で次のように指摘していた。

 過去の百年間に熟練の解体の波をかぶったのが職人と熟練工であったとすれば,これからの百年に熟練の解体の影響をもっとも大きくうけるのは……現代の熟練工であり職人である…管理的労働者――中堅ホワイトカラー,医師,科学者,ジャーナリスト等々であることはまちがいない。……現在すでにこの層の分解ははじまっている。……いずれにしても,そこには,週刊誌などの描きだすバラ色の様相とは全く異なった,強い困難と矛盾がはらまれているのである。〔同書,p.178〕

 植字/組版の歴史は通常,活版・写植・DTPと三つに区分される。しかし,コンピュータ化という物差しでみると,活版と手動写植・電算写植とDTPという二つに区分できる。他方で,協業など〈工場〉という物差しでみてみると,活版(+電算写植)・(手動写植+)DTPという区分にもなろうか。
 コンピュータ化は精神労働の機械化だという。肉体労働の機械化に対しては,労働者人民は初期の機械打ち毀しも含めて抵抗し,団結して闘ってきた。『資本論』は,その最も生き生きとした描写である。日本においても植字/印刷工は労働運動の中心のひとつの部隊だった。いま,なぜ,印刷労働運動は元気をなくしてしまったのか。植字/印刷労働者について振り返ってみれば,「クリエイター」と持ち上げて個々人バラバラにするフリーター神話(by リクルート)にだまされて,階級解体されてしまったことが大きいのではないか。写植の敗北の総括は緒に就いたばかりである。 (M)


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