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繙 蟠 録 2009年9月前半

2009/09/14 「ネット右翼」の心情と〈佐藤優現象〉

9/1付で,嫌中嫌韓に走る「ネット右翼」を「匿名のパラノイア」だと書いた。小田嶋隆さんによるメディアとしての側面からのネット分析をなるほどと思ったからだ。では,そこに集まる若者たちはどんな気持なのだろうか。ネット右翼についての従来の分析や説明(北田暁大さんや香山リカさん,浅田彰さんら)は結局のところ上から目線でレッテル貼りしているようにしか見えない。2ちゃんねるなんてバカだ,と。しかし,バカがなぜ人を惹きつけるかを分析できずに社会学もありえないではないか。

 鴻上尚史さんの『「空気」と「世間」』2009講談社新書 の描写は,ネット右翼の心情を的確に捉えている。鴻上さんは阿部謹也山本七平を引いて,「空気」とは「世間」が流動化したもの,「世間」は中途半端に壊れていてこの数年でさらに激しく壊れている――と指摘している。そして,不安な人ほど「共同体の匂い」を求め,これはアメリカの福音派の人たちが聖書のすべての言葉が真実だと考えるに至る心情と同じだとして,次のように書いている。

 ですから,知識がない人たちが簡単に参加できることが,彼らの宗教の絶対の要請なのです。それが,聖書に書かれたことはすべて真実である,とする信仰なのです。

 そして,「共同体の匂い」だけでは自分を支えきれない,激しく不安な日本人たちは「世間」に対して,福音派の人たちとまったく同じ構図のアプローチを取ります。

 不安であればあるほど,「世間」の原理に戻り,強力な「世間」を作り上げようとするのです。福音派の人たちと同じように,極めて分かりやすい,誰もが発言できる「世間」を選ぶのです。それは,「世間」の一番伝統的で原理的なもの,「古き良き日本」という「世間」です。

 ネット右翼と呼ばれる,極めて保守的な人たちがウェブ上で主張する理想=古き良き日本は,まさに,この伝統的な「世間」だと僕は思っています。

 それは,「日本」「民族」「家族」「正義」「愛国」というような言葉で象徴されるものです。彼らは,日本のマイナスと思われることを語る人間を,「反日」,自虐史観などと呼び,「半島に帰れ」(朝鮮半島のこと。日本の悪口を言っている人間は,日本人のはずがなく,隠れ韓国・朝鮮人に違いないという意味)と,攻撃します。彼らが守ろうとしているのは,「古き良き日本」です。「社会」などという西洋から来た概念に侵食されない,五つのルールが強力に働く,伝統的な日本の「世間」です。

 ですから,僕はネット上で反日だと激しく誰かを攻撃し,時にはブログを炎上させている彼らは,「ネット右翼・右翼主義者」ではなく「保守主義者」,もっと厳密に提議すれば,「世間原理主義者」だと思っています。「世間」の原理に帰ろうとする人たちです。〔中略〕日本の「世間原理主義者」たちは,一見,右翼的に見える時もありますが,彼らは,「天皇中心の日本」を創り上げようとしているのではなく,「伝統的で温かい日本」「ひとつの家族だった日本」に戻ろうとしているのです。〔pp.186-188引用にあたり改行部分を整理〕

 ここに分析の土台にすえるべき「もっとも単純な,もっとも普遍な,もっとも根本的な,もっとも大衆的な,もっとも日常的な,何十億回となく繰り返される関係」がある。「戦後平和」を賛美し,その平和を壊す(と自らの不安から思い込んでいる)「朝鮮」「中国」を嫌悪,排外する人びと,すなわち,「リベラル・左派」から2ちゃんねるまで含む人びとはいま「国益」論者になっている。これが〈佐藤優現象〉として現れているのである。(M)

2009/09/12 われら自由労働貧民

『資本論』第1巻に自由労働貧民という言葉が出てくる(第24章第6節)。といっても日本語としてこの言葉にしたのは長谷部文雄訳『世界の大思想11 マルクス 資本論 I 』であり,「……人民大衆を近代史の作物たる賃労働者すなわち自由な「労働貧民」に転化させ……」と訳されている(p.595)。今村仁司・三島憲一・鈴木直訳『マルクス・コレクション V 資本論 第一巻 下』の訳文(当該箇所は三島訳)を以下に引く。

 【資本制生産様式という「永遠の自然法則」なるものを活性化させ,労働者と労働条件との切り離しを完成させ,片方の極では,社会的な生産手段と生活手段を資本へと変容させ,他方の極では,民衆を賃金労働者に,すなわち自由なる「働く貧しい人びと」という近代史の人工的拵えものに変容させたこと――これはかくも労多き仕事だったのだ。もしも,オージェの言うように貨幣が「生まれつきの血痕を頬につけている」ものならば,資本は頭の先から足の先までのありとあらゆる毛穴から,血と脂を滴らしながら生まれてきたのである。】(p.570)

 われわれ自身が何ものなのか,闘いにおける名乗りはきわめて重要な問題である。かつて,船本洲治は「流動的下層労働者」と名づけた。「非正規」や「不安定」という,「正規」や「安定」というプラス表現の反対や否定としてでなく,また,マルチチュードとか何とかの片仮名語でもなく,“やあやあわれこそは○○”と名乗れるものとして,事実を規定できればいいのだが……。(M)

2009/09/11 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の建立運動に学ぶ

9月11日,三重県津市の三重県教育文化会館で「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の追悼碑を建立する会第2回集会」が開かれ,来年3月28日に予定している追悼碑の除幕式に向けた闘いの報告と検討が行われた。

 【報道】「追悼碑除幕 来年3月 紀州鉱山」2009/09/07 asahi.com

 石原産業は1942年から紀州鉱山のほか田独鉱山(海南島),カランバヤンガン鉱山(フィリピン)などで日本軍とともに資源を略奪,アジアの民衆を強制労働させた。紀州鉱山ではのべ1300人をこえる朝鮮人が強制労働させられた。

 当日,提案され検討された碑文と説明文の文案はすばらしいものである。なぜか。そこには強制連行され強制労働させられた朝鮮民衆に対して,哀れで無力な存在などという司馬史観とは対極の,力強く闘った史実が記されようとしているからである。――紀州鉱山で朝鮮人労働者130人は,1941年5月,米穀の増配を要求してストライキを闘った。44年秋には,紀州鉱山坑口に「朝鮮民族は日本民族たるを喜ばず。将来の朝鮮民族の発展を見よ」と,カンテラの火で焼きつけられてあったという。

 そう,日本帝国主義の敗戦の本質とは決して米英の物量に対する敗北ではない。アジア民衆の抵抗戦争に対する敗北だったのである。(M)

【関連サイト】
 紀州鉱山の真実を明らかにする会 / 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会 / 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会

2009/09/01 「匿名のパラノイア」としてのネット右翼

小田嶋隆さん「踊る阿呆の「祭り」のあとに」〔09/08/31日経ビジネスオンライン〕に注目(全文を読むには無料であるが登録が必要,ただし主要部分は2ちゃんねる各板に転載されている)。小田嶋さんは2ちゃんねるの「掲示板自体が,政治的なプロパガンダの場に変貌していた」「こんな短期間のうちに,これほど露骨な変化が起こったのは,おそらく2ちゃんねるの歴史の中でははじめて」と事実を挙げて検証し,2ちゃんねるの歴史を振り返って「2ちゃんねるの世論は,不思議なことに,総アクセス数が増えるにつれて,一般と遊離してき」たと指摘している。

 確かにそうである。「2ちゃんねるは,ある時期から,プロパガンダの場所になったということだ。/今回,選挙をめぐる騒動を通じて,2ちゃんねるが進んでいる方向は,ある程度はっきりした,と私は考えている」との小田嶋さんの見方は事実に合致している。典型的な事例として挙げられているのは次の事実。

 【「ニコニコ動画」(2ちゃんねるの初代管理人である「ひろゆき」氏が「監修」という立場で参加している動画配信サービス)が実施した,ネット世論調査では,ニコニコ動画ユーザーの麻生内閣支持率は,5月28日の段階で,36.5%という高い数字(男性に限ると42.7%)を記録している。/ちなみに,ほぼ同じ時期(6月13~14日)に朝日新聞社が実施した調査における,麻生内閣の支持率は19%に過ぎない。】

 そして【ネット右翼が大量発生しているのか,少数のネット右翼が,大量書き込みをしているのか,本当のところはわからない。結局,ネットというのはそういう場所なのだ。〔中略〕違うのだよ麻生さん。ネトウヨは数が多いのではない。クリックの頻度が高いだけだ。つまりただのパラノイアだ。/匿名のパラノイア。そんな支持を真に受けたのがたぶんあなたの失敗だった。自業自得。】と結んでいる。私は同意する。

 いまだに信を置く莫迦が絶えないWikipediaが同じ運命をたどっていっていることは必然の成り行きである。“薄塗り方式のなかに編集があった。これは新しい編集の方法だ”などといって対立を回避,隠蔽する討議をもてはやす某氏の誤謬も明らかである。事実,Wikipediaでは編集に承認を必要とする動きが出てきているという〔09/09/01 CNET Japan〕。すべては権力の問題である。誰のため何のためのものかという権力の性格を問う必要があるのである。(M)


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