繙 蟠 録 2009年7月前半
- 2009/07/10 「マンネリの評者と出来レースのような本の紹介」を誰が支えているのか
7月3日,ムダの会主催シンポジウム「書評を考える 過去・現在・未来」が日本出版クラブ会館で開かれ,参加してきた。パネラーは鵜飼哲夫(読売新聞文化部次長),福澤いづみ(三省堂書店神保町本店,人文・アート書フロア係長),山口昭男(岩波書店社長),鷲尾賢也(元講談社取締役,『いける本・いけない本』編集代表),司会・中嶋廣(トランスビュー代表)の諸氏。
討議では書評のレフェリー機能という話題を機に,私は「“内輪褒め”になるような評者の選定」「書かれた原稿に対する編集者のチェックの弱さ,査読力の低さ」が問題だと発言したが,「そのまま載せている訳じゃない」などというトンチキな返答には唖然,愕然とさせられた(ここにも出版関係者の「世間」(by 阿部謹也)防衛意識としての〈佐藤優現象〉がある)。
後で中嶋さんが挙げたが『毎日』書評の今年の3冊で少なくない人が丸谷才一を挙げるのは禁じ手だろう。最近は臆面もなく,自らが何らかの形で参画した本を挙げる評者もいるが,これをOKにしてしまうチェックとは何なのか。また,『読売』編集委員が中公の本を挙げるのはOKなのか。節度がなく,批判もユーモアもない書評が面白くないのは必然であり,書評の自滅である。
同様の出版危機がらみの別のイベントに対して小田光雄さんが【このようなイベントも結構だが,やはり週刊誌はコンテンツに尽きる。どの週刊誌にも顕著なのは,書評に力が入っていないことで,マンネリの評者と出来レースのような本の紹介ばかりだ。細部の輝きが週刊誌から失われて久しいように思う】と指摘しているが,この指摘は今回のシンポジウムにそっくりそのままあてはまる(「出版状況クロニクル 14」)。(M)
- 2009/07/09 殺された亡霊の声が聞こえないような言論や運動は「国民の幸せ」の名の下に「他国民」「非国民」の虐殺へ向かう
小野俊彦さんが,ブログ「九州帝國ブログ板」の7月8日付「7・20排外主義に抗議する表現行動への参加・声明への賛同を!」で,同行動への参加および声明への賛同を呼びかけている。声明本文,行動予定などは,「7・20 排外主義によく効く表現行動! [福岡]」を参照してほしい。以下に,小野さんの上記コメントを,賛同と共感の立場から転載する。
【在特会のような動きをどう分析するにしろ,排外主義や天皇制や靖国的なるものへの抵抗が「フリーター」運動にとってなぜ重要なのか,僕たちはもっと議論しなければならないと思う。それを「サヨク」のお決まりごとで済ませたらおしまいだ。声明でも触れているが,関東大震災のとき「日本人」に殺された「労働者」「朝鮮人」「無政府主義者(あるいは反議会主義者)」の声が我々にとっていま何を意味するのか。いま「不逞鮮人は出てゆけ」などと醜悪な言論を大声で垂れ流してデモしているやつらを傍観,黙認できるならば,僕等は関東大震災のときに自警団をつくってリンチをした日本人と多少はちがうと主張できるかもしれないにしても,それを傍観していた日本人と何が違うと言えるだろうか?
90年前に殺されたあの声の亡霊が我々の「フリーター」なのじゃなかったら,一体何なのか。あの時殺された亡霊の声が聞こえないような言論や運動は,隙を見せたら「国民の幸せ」とか言ってしまうだろう(「佐藤優現象」)。それは官僚用語としての「フリーター」に粘着する声だ。萱野稔人のような「サヨク」と粘着する知識人が「移民を規制しろ」などと言い始めている(ひっこめ!)らしい昨今…少なくともそのような声とは我々は自らを切断するべきだ。
僕は相当迷いもしたが,「在特会など相手にするのも馬鹿らしい」という自分の中の声に,どうしようもない「日本人」を感じ,そのような部分に対しては「反日上等」でなければ,自分の中で何かが腐ってゆくと思った。】。(M)
- 2009/07/04 「最後の仇討」と仇討の最後
6/23付のつづき。近代のはじめ,敵討に対して,武士のみならず百姓町民のそれにも好意的だった江戸時代の意識が明治維新後もしばらく尾を引いていて,とても複雑な心情だったのだろうと思う。吉村昭「最後の仇討」〔初出は「新潮」2001年2月号,新潮社刊『敵討』所収〕はその心情が細やかに描かれ,参考文献や調査過程も付記されている。
【政府は,維新後,欧米先進国にならうため各部門の制度の刷新につとめ,法制の検討も推し進めた。殺人は重罪であり,美風とされていた仇討もそれに類する行為であることはあきらかで,法律上どのように定義すべきかという論議がにわかに活溌になった。
明治三年五月,刑部省は,省内で協議をかさねた末,法治国家として法を守ることを第一とすることを基本に,仇討についての見解を発表した。祖父母,父母が殺され,その子が仇討をする際に,官にとどけず殺した場合は,六十敲きの刑に処し,官にとどけた折には不問に付す(無罪),という内容であった。
この見解について,刑部省は,前年八月に開校された大学校(東京大学の前身)の法律部門に諮問した。
これにまず回答を寄せたのは,中博士芳野世育,少博士藤野正啓,木村正辞で,連名で意見書を提出した。
官にとどけ出たか否かによって刑に処するかどうかを定めるのは,全く意味がない。古くからの仇討をみても,仇を討つその折に官に届けた例は少い。長年仇をもとめて苦労し,偶然発見した時は,「雀躍シテ刃ヲ交ル」もので,官にとどける暇などない。
結論として早計に敲刑などという姑息なことなど定めず,多くの者の意見を聴取して律条を設けるべきだ,としていた。
これにつづいて大学校の中教授小中村清矩と少教授依田董も,連名で回答書を寄せていた。
仇討は親を殺された子の美挙で,法律で禁止すべきものでは断じてない。しかし,官に告げずにおこなうのは,たしかに殺人の罪とされてもやむを得ない。これは「官ヲ畏敬スル道」であって,仇討をした者も「甘シテ其罪ヲ受ヘシ」として,六十敲きの刑に処すのは妥当である,と刑部省の見解に賛意をしめしていた。
学者をまじえて政府部内ではさかんに論議が交わされ,容易に結着をみなかった。しかし,大勢はは,一つの方向に傾きはじめた。
祖父母,父母を殺された者は,自ら復讐するよりも裁判所に申し立て,裁判所はただちに殺害者を捕縛し,それ相応の刑に処す。官に申し出ず復讐した者は,情状酌量の余地はあるものの殺人罪として処罰する。
この意見に対して異論を唱える者の声は徐々に弱まり,これが結論となった。
この結果,明治六年四月二日,政府は第四百二十二号布告として,仇討禁止令を発令した。内容は,仇討をした者は「謀殺」の罪によって処罰するというものであった。
さらに七年後の十三年には,仇討についての条文は全く法典から消え,通常の殺人罪として扱われることに改められた。】『敵討』pp.195-197
光市母子殺害事件(1999)をめぐる議論に欠落しているのは歴史的な視点である。「官ヲ畏敬シナイ」私は,国家権力に復讐権を託したくない。復讐の権限は取り戻したい。しかし行使したくない(裁かれたくないし,裁きたくない,その手先にされるのも真っ平御免だ)。敵討ちが美風とされていた社会の道徳はまた,子殺しに甘く親殺しは重罪というものでもあった。「人権」は確かにひとつの人類の到達点ではあろうが,決して普遍的なものではありえない。
「人を食ったことのない子供なら,まだいるかもしれないではないか!
子供を救え……」〔魯迅『狂人日記』駒田信二訳〕。(M)◆前田年昭「監獄の時代の後に来る,監獄のない将来の時代にむけて あばかれたアメリカの産獄複合体の現実は,日本も無関係ではない 書評 アンジェラ・デイヴィス『監獄ビジネス』」〔『図書新聞』第2925号 2009年7月11日付掲載〕
- 2009/07/02 かわいいことは,なんてかわいくないんだろう
タイトルは,仲俣暁生さんのブログ「海難記」の7/1付「「かっこよさ」の行方」の中のフレーズ,ビビッと来るものがあって引いた。仲俣さんは【最近,笠井潔の『例外社会』を読んでいていちばん面白かったのは,例外状況とか生権力とか千年王国思想とかを精緻に論じた部分じゃなくて,大塚英志が『彼女たちの連合赤軍』で指摘した,消費社会的な「かわいさ」に観念的な革命主義が敗北した,という説への反論として,「かっこよさ」という言葉で男の子的な感性を擁護していたことだ】と書き出している。そして結論を先取りすれば,仲俣さんは【80年代半ば以後の消費社会化のなかでは,少女的な「かわいさ」の影にあって,かなり形勢不利になっている】が,【「かっこよさ」の復権を期待する】と書いている。同感である。
いま「海難記」を読みに行ってみると,この文章の要点のひとつでもある『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』(早川義夫)をめぐる記述が書き加えられているようだ。【赤軍派的な「かっこよさ」という感覚にもとづいた政治運動がたどりついた,敗北の意味を噛みしめた同世代の当時の思いを象徴していた】という最初の記述に対して,【年長の知人から,同時代の感覚としてこの書き方にはかなり違和感がある】【ジャックス時代から学生運動的な,あるいはロック的な「かっこよさ」から遠い人だった】との指摘があったという。で,仲俣さんは【学生運動の退潮とストレートに結びつけるのは間違いだったようなので訂正】と書いている。ジャックスがどうだったか転向したのかどうかはここでは関係はないし,「同時代の感覚」を振りかざす「年長」世代の排他的な物言いはいかがなものかと私は思う。歴史とは現在に対する自分自身の認識なのだ。「同時代」の者の独占物ではないのである。
ジャックスの解散と『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』と(ともに1969年)は,確かに狭い事実という意味では「敗北」の直前である。しかし,いかに受容されたのかということを振り返ってみるとき,早川義夫の詞は実に,かっこよく「かっこいい」時代を捉え,「敗北」までをも予感していたことは確かである。
全共闘の「かっこよさ」は,後ろめたさや恥じらいも包み込んだものだった。うすっぺらなだけの「かわいさ」の跋扈には,その恥じらいのなさに反吐が出る(話が脱線するが,何かあると「疚しさ」を否定的レッテルとして使う某評論家がいるが,疚しさのない人間なんて気持ち悪くて嫌,まして疚しさのない革命家なんて御免被りたい)。
話がそれたが,仲俣さんの「かっこよさ」の復権を期待するという趣旨にも,「かわいいことは,なんてかわいくないんだろう」というフレーズにも共感するところがあったので,とりあえず記しておきたかった。(M)
- 2009/07/01 吉村作品に見る〈事実〉の力
吉村昭『時代の声、史料の声』2009,同『歴史を記録する』2007(共に河出書房新社)は,史料を徹底的に調べ,現地に何度も足を運ぶという吉村作品の舞台裏を自ら語った貴重な証言として示唆に富む。「ノンフィクションだからフィクションより一格下だとみる人もいるかも知れないが,文章でつくられたものに高い低いがあるはずがない」,しかし,「小説の場合には新人で出る時には,編集者が猛烈にしごきますよ,一字一句,構成から何から。〔中略〕ところがノンフィクションの作品を読みますと,「何故この文章を編集者が文句を言わなかったのだろう」と思う表現がある」として,文章の洗礼を受けなければいけないと指摘している。
【「昔の編集者の方が偉い」という人がいますが,僕はそうは思わない。四~五年位前でしたが,ある文芸雑誌の編集者が――三十位でしたか――小説の最後の部分で,「妻は返事もせず目を閉じていた」という文章を書いたんです。ところが,その編集者が,「『返事も』というのは強すぎませんか。『返事を』でよいのではないですか,『返事をせず目を閉じていた』の方がいいのではないですか」と。僕もしばらく考えて,「君の言う通りだな」と「を」に直しました】(『時代の声、史料の声』p.66)
頷かされる。と同時に,吉村作品の生命力の源は単なる手法,技法の問題ではないと気づかされる。吉村昭が時間と手間をかけて事実を調べる対象の選定,関心の向けどころ,視点からハンパじゃないのである。要は,歴史を見る立場と観点,哲学である。その象徴的発言。
【戦後よく言われた,あの戦争は軍部がやったのであって国民は騙されたのだという説。あの戦争の定義にまでなっていましたよね。嘘ですよ。責任転嫁です。庶民が一所懸命やったんです。それを認めないと戦争の怖さはわからない】(『歴史を記録する』p.214)
民衆は騙されたのだ――そういう見方に与する者は誰か。民衆とは罪のない者であり,被害者であり,何も知らないままに支配者に騙され,巻き込まれてしまう哀れな存在であるというわけだ。新左翼も含め(!)日本の左翼運動に色濃く存在するこうした大衆蔑視と愚民感をこそ真っ先に革命しなければ,日本の変革などありえない。(M)
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