監獄の時代の後に来る、監獄のない将来の社会にむけて

あばかれたアメリカの産獄複合体の現実は、日本も無関係ではない

書評:アンジェラ・デイヴィス、上杉忍訳『監獄ビジネス グローバリズムと産獄複合体』




2009年7月
前 田 年 昭
編集者,アジア主義研究

『図書新聞』第2925号 2009年7月11日付掲載

軍産複合体は知っていても産獄複合体とは聞き慣れない。本書によって,アメリカで監獄の建設と運営が建設から食品,医療に至る巨額資本をひきつける一大産業だという事実を知り得る。著者は,一九七〇年,カリフォルニア大学哲学教員の職を共産党員であることを理由にクビになり,直後,黒人解放運動の昂揚のなかで政治的に逮捕,投獄され,「アンジェラを救え!」との国際的救援運動によって七二年に無罪判決を闘いとるという経歴を持つ。闘いは編著『もし奴らが朝にきたら』(一九七一年,邦訳は七二年)で国際的に知られた。その後も一貫して政治活動を続けてきた。本書は,一九九〇年代以降の,全米の反監獄活動総括であり,監獄問題の根本的な解決を提起した文書である。
 八〇年を曲がり角にした「麻薬との戦争」の全面展開による収監者激増と厳罰主義,監獄ビジネスへの巨額な資本流入,その結果,収監者は三十年間で十倍に膨れあがり,今では全世界で約九百万人の収監者のうち二百万人以上がアメリカ国内の収監者である。大量投獄の結果,家庭も地域も壊され,黒人,女,貧者はますます格子なき牢獄としての娑婆と監獄との往復に追い込まれている。著者は「近年の女性収監率の上昇は,産獄複合体を生み出し,男女にかかわりなく破壊的な打撃を与えてきた経済構造の直接的結果」だと指摘している。フーコーは「監獄が工場や学校や兵営や病院に似かよい,こうしたすべてが監獄に似かよって」いると喝破したが,本書が挙げているさまざまな基本的事実は,アメリカで黒人,女,貧者が置かれている“もっとも日常的な,何十億回となく繰り返される関係”を見事に描き出した。
 これはアメリカの話であって日本では関係ないと言うなかれ。収監者に対する虐待は日常茶飯であり,名古屋刑務所で受刑者の肛門に消防ホースで放水して殺した事件(〇一年)や革手錠で腹を締め付け死傷させた事件(〇二年)は氷山の一角にすぎない(この件は国会で問題になり一般紙でも報じられたが,日常的には『実話時代』など任侠雑誌にしか載らなくなっている)。刑務所民営化の動きも始まり,PFI法(民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律)の九九年成立を受け,PFI刑務所が山口県などに作られることになった(ちなみに同法は「学校・病院の株式会社化」の元凶でもある)。また収監者数,受刑者数とも九二年以降一貫して増加している。ジャーナリズムも社会運動も監獄の存在そのものは問いえていない。少数の監獄内処遇改善の要求があるのみだ。
 著者の訴えは監獄内の待遇改善ではない。監獄廃止である。そのために「例えば,学校の非軍事化,すべてのレベルでの教育の再活性化,精神病を含めた無料医療の全対象者への提供,懲罰や復讐ではなく補償と和解基づく裁判制度など」を,現行収監制度に対する対案としてでなく,社会の様相を根本から変える対案として構想すべきことを訴えている。「これまで長いこと,逸脱者を地域社会や家族から切り離し,恐ろしい場所に隔離するぞと脅しつけることによって社会秩序が保たれると思われてきた」「われわれの生活の一部になってしまったために,監獄の時代の後に来る監獄のない将来の社会を思い描くなどということには,とてつもない想像力の離れ業が必要」との著者の指摘は鋭い。
 アメリカ人は“テロリスト”を撲滅しろと言い,日本人は“北朝鮮”を制裁しろ,裁判は迅速にやって“悪い奴”は早く吊せと叫ぶ。自分たちの安心や安全は“邪悪なやつら”を閉じ込めておくことで守られると,いつから,なぜ,私たちは信じ込まされてしまったのか? 二〇世紀,政府が国民を殺した数は戦争犠牲者数よりもはるかに多かったのである。憲法九条を掲げて“他国民”殺し=戦争に反対する運動と闘いは,自国内の“非国民”への合法的殺人=死刑や合法的監禁=収監に反対する闘いと結びつかないかぎり,自己の「生活」を保身する選良的エゴ運動に過ぎない。
 ラディカルとは根本を問い直すことということを身をもって明らかにした著者の力作を強く薦める。

アンジェラ・デイヴィス著,上杉忍訳
『監獄ビジネス グローバリズムと産獄複合体』
四六判・157頁・本体2300円
岩波書店
978-4-00-022487-1
(おわり)


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