繙蟠録 I & II
 

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繙 蟠 録 II 2022年8月

2022/08/21 田嶋さんの問題提起 植字/組版仕事の変容

田嶋淳さんが書かれた「組版ソフトとワープロは違うものですよという話」〔電書魂 2022.8.19付〕に刮目した。
 全文を読んで欲しいが、組版ソフトは活版印刷の組版工程をデジタル化したものであって、「本の紙面を効率的に作成するためのもの」。これに対してワープロはタイプライター・原稿用紙をデジタル化したものであって、「デジタルテキストを入力するための道具」だ。これが混同されていることが、「ここ20年近くの印刷組版データ制作現場の苦労の一因」だという指摘である。私は、そのとおりだと同意する。

 田嶋さんは歴史を振り返り、「活版印刷の時代(その後の電算写植機の時代も)には、本の版面制作は「工場で職人が行うしかない作業」」だったものが、DTPの普及で変わってしまったと指摘している。

DTPは組版処理に必要な機材コストおよび人的コストを大幅に低減化させた功績がありますが、一方で組版のプロの領域の仕事とそうではない前作業の領域の境目をわかりにくくもしました。その結果何が起きたかというと、本来なら前作業の段階で終わらせておくべき推敲や原稿整理を組版工程に入ってから行う例が後を絶たなくなったわけです。
まったく異議なし、そのとおりである。そして、田嶋さんは、「本の制作で推敲や原稿整理などの「設計」にあたる工程と、そのあとの組版処理、「施工」にあたる部分は分けて考えられるべきもの」だと指摘している。これも、そのとおりである。

 活版印刷では、文選工が漢字や仮名の活字をひろい、植字工がこれを版に組み上げた(工程としてはもうひとつ、あと工程として解版がある)。手動写植は、文選と植字をひとりでこなせるようにし、解版をなくした。電算写植もこれを引き継いだ。ここまでは依然としてプロの仕事だった。が、文字入力は、このころから急速に普及したワープロによるテキストデータとなり、素人に解放されていった。また、編集者はこのころから組版の指定をデザイナーに丸投げすることも多くなる。このあたりが、田嶋さんの指摘する、組版ソフトとワープロとの混同の始まりであり、「プロの領域の仕事とそうではない前作業の領域の境目をわかりにくく」した始まりだった。プロでない人びとの入力したテキストは、プロの校正者の目を通すのがよいのだが、これがそのまま、組版の現場に流れ込んだ。かてて加えて、組版の指定(場合によっては施工まで)をするデザイナーは、たとえレイアウトソフトのプロであっても必ずしも組版のプロではなかった(場合も少なくない)。これが、組版現場の混乱、混迷に拍車をかけた。印刷会社は90年代以降、社内から組版を切り捨て(るところが多く)、入稿されたデータをそのママ「刷る」だけになっていった。分業と協業は、助け合いや協力とともに厳しい緊張(ときに対立も)のなかで、互いに無理難題とも思える課題に取り組み、伝統的な読みやすさと創造性を結びつけた組版を生んできた。しかし、何でもひとりでできる(素人にでも、ともみえる)DTPは、「とりあえずできること」で打ち止めにすることも少なくない、ように思う。こうして、生み出された組版の姿からは、プロの作ってきた「端正な格子」「明確な階層」が弱くなって、今にいたっているのではないか。

 本づくりの設計と施工、さらに組版自体の設計と施工を、できれば人的にも分け、責任と権限を明確にし、それぞれの橋渡しに点検(校正)を入れることが必要だと、私は考えている。 (M)

2022/08/16 編集者のための組版講座 ご案内

このたび、読書人さまのお声がけで、次のような講座を開催します。ぜひご参加ください。 →案内チラシPDF版

編集者のための組版講座

 編集者は組版の良し悪しを、何によって判断すればよいのでしょうか。
 ごく単純にいえば、よい組版とは分かりやすいこと、読みやすいことだと思います。いま街中には実に多様な組版が存在しています。フォントもサイズも字詰め行数も色も自在に設定可能で、可能性は無限です。DTPは組版に多くの「自由」をもたらしましたが一方で、かつて印刷所に預ければ間違いなくなく保証されていた「端正な格子」や「明確な階層」は、現在の組版では決して自明でありません。昔の編集者は「読みやすさ」に目を光らせる必要はなかったのです。無限の自由の中で不自由を抱えたいま、編集者は自らが組版を見る目、良し悪しを判断する力をつけるよりほかありません。
 自分の中に良し悪しの基準をもつためには、組版の「ルール」が助けになります。「ルール」というと窮屈に聞こえますが、固定化された規範とは違い、長い年月世代をわたって組版に携わった無数の職人たちが日々の労働の中に蓄積した「集合知」を意味します。この一世紀、印刷は活版から写植を経てDTPへと急激に変化し、とりわけプリプレス(印刷・製本の前工程)の担い手は、工場の工員ら集団から個人へと変わりました。けれど、読者も含む集団の共有財産としての組版ルールは、そう簡単に無効になるものではありません。
 この講座の目的は、ソフトウエアの使い方を覚えることでも、流行のデザインについて情報交換することでもありません。組版を見る目を養う、そのための手がかりを知る時間にしたいと思います。
 日ごろの編集作業の中で悩んだり考えたりしている問題を互いに持ち寄り、意見をかわして問題解決に役立てていただければ幸いです。

第1回(9月7日)

……昨今、組版作業について「そのまま流せばいい」といった声をよく耳にします。「流す」ことは組版の仕事にとって終わりでなく始まりです。違和感なくスムーズに読める組版を実現するためには、細かな調整が必須です。原稿を分かりやすい印刷物にするために文と文の区切りをどう際立たせるか、組版者たちはどのような処理をし工夫を施してきたのか。知る手がかりとして、19世紀末の印刷紙面の変遷をたどり、活版草創期の試行錯誤を通じて作り出された組版の「ルール」を読み解きます。あわせて現在の印刷紙面とも比較検討し、変えてもよいことは何で、受け継ぐべき基本の決まりごとは何であるのか考えます。

第2回(10月5日)

……「嘘」と「噓」の違いに戸惑ったことはありませんか。筆者の強い要望が伝えられることもあるかもしれません。個人の手控えであれば、それぞれの好みでどちらを使用しても間違いではないはずです。しかし時代と社会の共有物である活字には、歴史的な根拠と体系があり、それが作り手と読み手との暗黙のルールともなって流通することを思えば、本来、筆者や編集者の一存で決められるようなものではないはずです。「嘘」と「噓」、どちらを採用する? 字体統一はそもそも誰の仕事? ルビをふる基準は? ――好き嫌いで決められない印刷文字とは何か。中でももっとも基本であり多様でもある「漢字」を取り上げ、常用漢字字体、表外漢字字体、簡易慣用字体、簡体字、繁体字といった体系について具体例とともに概説します。

第3回(11月2日)

……組版者の手に渡るテキストは、編集者が整理した原稿であることが原則です。未整理のまま入稿されれば、組版や校正の作業は煩雑となり、混乱や工程の見直し、誤りの見落としにもつながりかねません。編集の段階でやっておくべき原稿整理には何があるのか、組んだ後で手を入れてよいことと区別して具体的に検討します。もうひとつ、編集から組版への大切な申し送りに、版面の指定があります。組版を行う際の指定にはどのような項目があり、編集が決定すべき必須項目は何か。逆に、組版の工程にゆだねてよい項目は何か。指定の数値は何によって変わり、何を根拠に導き出すのか。読者対象と性格の異なる複数の本の版面例を示しながら、必要な知識を整理します。

第4回(12月7日)

……度重なる工程の見直しは組版、校正、印刷、製本といった後工程までを巻き込み、本作りの行き先を見失わせます。成り行きまかせのページの増減は本そのものを破綻させかねません。編集者が本作りの総監督なら、進行表が羅針盤、台割は脚本といえます。
 まず台割について組版の観点から特に、ページ数の割り出し方を解説します。文字数のカウントの仕方、表紙、奥付、前・後付けや、章起こしのスタイル等、ページ数に影響を与える要素には何があるか確認します。まためあてのページ数に収めるための手法や、文字が溢れた際の回収の方法についても提案します。
 次に進行表の役割について、考えます。その中で、編集、組版、校正等それぞれの工程の責任と権限の境界線や、入稿のリミット、事故が起きたとき、遅れが生じたときの処理で気を付けたいことについても確認します。

■とき 9月7日、10月5日、11月2日、12月7日(毎月第1水曜、全4回)19時~21時
■ところ 〔会議室〕読書人となり(東京都千代田区神保町1-3-5 冨山房ビル6F 電話03-5244-5975)
■参加費 一般2,000円(事前予約1,500円)、オンライン2,000円(事前に資料郵送のため、申し込み〆切は各回1週間前まで)
■講師 前田年昭(組版者、第1~4回)、朝浩之(元・東方書店編集者、第2回)、大友哲郎(組版/校正/編集者、第3回)
■主催 問い合わせ/申し込み先 読書人 電話03-5244-5975
※受講者は、組版についての現場での具体的な問題、事例の実物を、お持ち寄りください。
※事前予約者、オンライン受講者には毎回、豊富な事例資料集を事前配布するため、各回の1週間前までにお申し込みください。

→お申し込みは、ココから(来場参加券とオンライン配信チケットは、入り口が別々ですのでご注意を!)

2022/08/03 文字サイズの単位はポイントか級か

同名の文書「文字サイズの単位はポイントか級か」(2011.10.10)がJAGAT(日本印刷技術協会)のアーカイブで読める。筆者の小林敏さんは、JIS X 4051(日本語文書の行組版方法)の策定に際して、芝野耕司主査のもとで、小野沢賢三、枝本順三郎、野村保惠らの各氏とともに多大な貢献をされた方である。
 「使用できる文字サイズの単位は、実務的にはどんな単位が望ましいのか」との問いに対して、小林さんはここで、「“使い慣れた単位が最もよい”というのが答えとして考えられる」として、「私は、ポイント単位であれば、ある範囲の大きさがイメージできるが、級の場合はせいぜい10級から13級くらいの範囲しかイメージできない」といい、「文字サイズは、表示体裁にアクセントを付けるもので…どのくらいの大きさの違いがあれば見た目の差が付くのか、という問題」だとして「差が付くという場合、1級(0.25mm)ではやや小さく、1ポイントの0.3514mm(又は0.3528mm)という大きさの差が人間の視覚能力にあっているといえるのかもしれない。整数の数値で指示したい場合、ポイントの利用が便利ということかもしれない」ともいって、ポイントに軍配を上げている。
 何と出鱈目な、と私はあいた口がふさがらない。ここで、はっきりと、莫迦なことを書き散らす者には組版を語る資格はない、と断言しておきたい。
 その他、この問題についてネット上で読める主な記事には次のようなものがある(用語解説や換算表のみのものは除く)。

 結論を先取りして言えば、本や雑誌など印刷物は工業製品としての紙で拵えられているという視点が欠落してしまっている。紙のサイズは、ISO 216: 2017で定められたA列などの紙仕上がり寸法が国際標準である。ドイツの工業規格DIN 476がもとになっており、世界各国で使われている。日本の国内規格は、1951年に定められたJIS P 0138「紙加工仕上寸法」である。B列はJIS-BシリーズとしてISOと寸法が異なるローカル規格であるが、ISO-Aシリーズとして規定されているA列はISOと全く同じ国際規格である。
 先に挙げたもろもろの記事は、そのほとんどが、級は日本独自(ガラパゴス!)で、ポイントが一般的であるかのように書かれている。国際単位系(SI)における7つのSI単位のひとつとして、長さは18世紀末以来200年以上の歴史を持つメートル法である。級は1Q(H)=0.25mmと整数で互換を持つ。この世界の流れに反してアメリカなどごく少数の国だけではメートル法は普及せず(こっちがガラパゴスだ!)、ヤード・ポンド法が使われている。ポイントは、1pt.=0.3528mm(あるいは0.3514mm)であるから、mmとは常に端数がでてしまう。
 文字のサイズは、紙のサイズにならってmmおよびこれと互換のある級、歯でのみ正確に測られる。まともな組版設計は級、歯でのみなすことができる。にもかかわらず、DTPではポイントが主流だとか、果ては言うに事欠いたか「使い慣れた単位が最もよい」などと言って、 À tous les temps, à tous les peuples.(全ての時代に、全ての人々に)というメートル法制定精神に反することを書き散らすことは決して許されない。 (M)

※ KDU組版講義「組版・タイポグラフィ論」2022.5.7(初出 繙蟠録2019.11.09

2022/08/02 印刷の力とは何か

知人の澤直哉さんとのやり取りのなかで、印刷の〈力〉ということについて考えている。澤さんからいただいたメールの一部を許諾のうえで以下に紹介する。

 鈴木一誌さんの『ページと力』増補新版を見た際に、印刷所も製本所もおなじなのに、ここまでスタンダードが変わってしまったのか、と呆気に取られました。
 昨今の印刷物には、印刷の〈力〉がまったく感じられません。そして、版面がどんどんクリアに、透明になる一方で、組版の精度は落ち続けています。
 かたや活版愛好家たちは、手応えと手触りを求めて信じられない圧で刷りますね。樹脂版も、金属活字の質感とはまったくちがうのだから、もうやめたらよいのではと感ずることがしばしばです。
 オフセットと活版が、斯様に見事にすれ違い、〈当たり前の、しかしだからこそ可能なかぎりの精度を目指した印刷物〉が素通りされている倒錯的な状況に、今日の公共性の崩壊そのものを見る思いがします。
 版は力、印刷は力であるということを、アマチュアが、人民こそが示さなくてはいけないはずなのに、世の同人誌にそうした精神を感ずることは、極めて稀です。皆、表現者=消費者になってしまいました。
強く同感する。印刷と出版の原点は何か。不特定の人びとに対して,自分の意見を表明することは,人間の本源的な権利である。かつて,写植かDTPかを問わず、またWindowsかMacintoshかを問わず、多言語処理が面倒だった時期に,私はそのやり方を公開して仕事をしていた。熱心に訪ねてくる組版,印刷者のなかには宗教関係の方々が少なくなかった。その宗教の教義を広めるための動機は本気,熱は半端でなかった。それゆえ私は正面から受け止めて、技術交流をした。いま,DTPが「簡便」になり,一人ひとりが印刷する権利を身近なものに一歩近づけることができているにもかかわらず,逆に,ブツとしての印刷の力は劣化していると言わざるをえない。技術の進歩とはいったい何のため,誰のためのものなのか,もう一度、印刷と出版の原点にたち返って考えるときではないか。  (M)

2022/08/01 組版ルールは集合知である

 日本の印刷は近世まで整版であり,印刷物のハンコはもっぱら,彫り師の手になる一枚板の木版だった。幕末に西洋から金属活字が伝わり,活版印刷とともに,文字をひとつずつならべる組版(植字)の歴史がはじまった。
 活版印刷では,モノとしての活字をならべて印刷物のハンコをこしらえる。ハンコはインキをつけて紙におしつけるわけだから,活字は裏返した状態で彫られたものであり,ひとつの字母は一回しか使えない。同じ活字でも頻度によって多数必要であり,さらに異なる文字サイズや書体ごとに文字セットを備える必要がある。文字と文字のあいだは基本的に詰めることはできず,込め物を入れてアケるか,字間をあけずにベタでならべるか,である。
 工程は,文選(採字),植字(組版),解版と分かれていた。文選工が漢字や仮名を拾い,植字工がこれを版に組む。文選工は1時間に1300~1400字拾ったという。植字工は,句読点などの約物や字間アキの込め物を一行ごとに「植えて」行き,行と行のアキにインテルを挟んで,四六判30字12行を1日(9時間)で32頁くらい組んだという〔石井研堂『少年工芸文庫』1904〕
 活版印刷の草創期,植字(組版)工たちは読みやすい組版の姿を求めて,苦闘しつづけた。
 一例として,幸田露伴の小説でその変化をたどってみる。『真西遊記』(1893年,学齢館,印刷・三井駒治 東京印刷)は,四号字間四分アキで1行27字詰め1頁12行で,読点は字間の四分に入れられている。『風流仏』(1889年,吉岡書籍店,印刷・耕文社)は,五号字間二分アキで1行25字詰め1頁11行で,読点(黒ゴマ,白ゴマ)はアキの二分に入れられ,句点直後のみ1字アキとなっている。『枕頭山水』(1893年,博文館,印刷・杉原活版所)では,五号字間四分アキで1行30字詰め1頁13行で,読点はアキの四分に入れられ,句点に相当する読点は改行で区別されている。『不蔵庵物語』(1906年,橋南堂,印刷・笈田活版所)は,五号四分アキで1行30字詰め1頁13行で,句読点は字間アキの四分に入れられ,句読点直後は1字アキとなっている。『小品十種』(1908年,成功雑誌社,印刷・秀英舎)は,五号四分アキで1行28字詰め1頁12行で,句読点は前同。『露伴叢書 前編・後編』(1909年,博文館,印刷・秀英舎)は,五号ベタ組みで1行44字詰め1頁14行で,句読点はそれぞれひと文字扱いとなっている〔以上,京都府立図書館所蔵〕
 こうして版面の姿は,四号,五号の字間二分アキあるいは四分アキから,五号,9ポイント,8ポイントのベタ組みへ変化していった。当初はそれぞれの書き手が文体とともに組版の姿を模索し,植字工たちの半世紀以上の苦闘の結晶として,1960年代までには円熟した定型というべき様式がつくりあげられていった。
 写植ではこれが一変した。文字盤の文字を,レンズを通して印画紙に焼き付ける仕組みになった。タイプライターで印字するところをカメラに置き換えたもので、簡単にいえば文字を幻灯のように写し込む。物体としての活字の配列は,空間処理に変わった。単一の文字盤からサイズの変更や変形も自在になり,ひとつの字母から,種類はレンズの組み合わせにより1000以上,回数は無限に使えるようになった。これはグーテンベルクの活字以来の画期的な発明である。
 空間処理であるため,文字は紙面のどこにでも自由に配置できるようになり,ツメ組みも重ね組みもできるようになった。文選と植字は同じ人によって同時に行われることになり,解版の手間はいらなくなった。採字は「一寸の巾」配列によってスピードアップされ、1日に1万数千から2万字になった〔筆安雅夫さんの証言〕
 歯車によって位置を決めていく手動写植は組版を精緻にしたが,空間処理であるため個人差が生じやすく,また現像から乾燥までで仕上がりとなるため,濃度や寸法は不均一になりやすかった。
 植字(組版)のもっとも大きな変化は,ひとつの行から次の行への移行が,活版では行と行の〈アキ〉にインテルを挟み込む作業だったものが,行のセンターラインから次の行のセンターラインへ〈送る〉作業に変わったことである。
 電算写植は歯車をコンピュータの処理にゆだねたため,組版の理論はモノとして見ることはできず,定義した言葉で構成する,共通した組版ルールが必要になった。一例を挙げると,活版では「アキ」しかなかった行と行との距離をあらわす言葉に,手動写植になって「送り」という言葉が加わった。しかし,写研の組み見本帳『写植NOW』(1972~73年)の「行間○○H送り」という言葉に混乱があらわれており,時代は言葉とルールの整理を求めていた。1973年に出た『写真植字のための組版ルールブック』で,明確に「行間」と「行送り」に整理された。これは,浅野長雅(写研),池田義則(〃),長谷川泰政(〃),柴田昭夫(モリサワ),黒須寛(全関東写植協組),日出島清司(〃)という「6人の侍」が協力しあい,討議を重ねたものだった。『組みNOW』(75年)で「行送り○○H」「行間○○Hアキ」と記された。そして,現場の実践と経験は次々と,行頭行末禁則,分離分割禁止,字上げ字下げ,縦中横,振り分け,ルビ,同行見出し別行見出し,字取り行取り,などの言葉としてまとめられていく。これが写研の組版記述プログラムSAPCOL(SAPTON Composition Language)-HSを生みだし,1990年代にJIS X 4051に結実する。こうして金属活字の伝来から1世紀かかって,日本の植字(組版)は,言葉と論理を獲得した。まさに組版ルールは,集合知である。
 この間の急激な変化はまた,組版の設計と施工の分担を変えていった。編集者の指定,指示を印刷会社あるいは写植組版者が施工するスタイルから,デザイナーの指定による組版者の作業へと変わっていった。DTPはこの動きを加速し,印刷会社が組版部門を外注下請け化したこともあって,工場における協業という組版の労働は,バラバラな個人(自営業者)による作業に置き換わっていった。一面では出版の自由の実現に近づいたともいえるが,他方で無手勝流による「自由」な組版が出てくるようになってきている。
 (M)


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