繙蟠録 I & II
 

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繙 蟠 録 II 2022年12月

2022/12/26 『(批修版)毛主席語録 全本』について

『毛主席語録』は1966-68年頃出版され,中国だけでなく日本も含む世界で読まれた毛沢東の言葉の引用集である。1.共産党,2.階級と階級闘争にはじまり,33.学習まで33章,日本語版では431ページ, 91mm×128mmのB7判(縮刷版は74mmx105mmのA7判)の本である。先月24日に亡くなったドイツのエンツェンスベルガー(1929-2022)は,民主主義を深めるためにメディア革命がだいじだとして,紅衛兵の大字報(壁新聞)やアフリカのゲリラが持つ無線機が次の時代のメディアを準備するかもしれないと書いたという。『毛主席語録』もまた,新しい言語メディアの実験のひとつだった。みかけは聖書のように扱われて多くの人びとがそれに忠誠を誓った一方で,それぞれが自分勝手な解釈に引き寄せて「活学活用」したことは権威の否定でもあり,とてもおもしろい。
 「書物主義に反対する」という小編を書き,本の虫になることをきらった毛沢東の言葉がそういう「活学活用」にたえられたことは,もともとの毛沢東の言葉が,集合知だった(実際に,毛沢東の著作は複数の人の手が入った集団創作だった)ことにもよると津村喬も指摘していた。

 ここで紹介する,《偉大的毛沢東時代》研究課題組編『毛主席語録 全本』は,今世紀になってから地下出版されたものと思われる。巻頭に掲げられた編輯説明(2010年,北京)には「歴史を尊重し,原著に忠実に従い,毛沢東思想を全面的かつ正確に把握し,歴史の本来の姿を復興すること」と書かれている。もとの1.共産党から33.学習までのもとの33章を上編とし,新たに下編として1.社会主義建設から28.資本主義は必ず滅び社会主義は必ず勝利する,までの28章が付け加えられている(中文で,ほぼ同じ長さ)。

 解釈のちがいで「活学活用」するのでなく,引用集を増補して「活学活用」した編者たちの意思は,語録の最終ページに引かれた毛沢東の言葉にあらわれている。

 中国においても,世界各国においても,要するに,90%以上の人びとは,結局は,マルクス・レーニン主義を擁護するはずである。世界的には,いまはまだ多くの人びとが,社会民主主義政党にだまされており,修正主義にだまされており,帝国主義にだまされており,各国反動派にだまされていて,まだ目覚めていない状態にある。しかし,かれらは,いつかは,しだいに目を覚まし,いつかはマルクス・レーニン主義を擁護するようになるであろう。マルクス・レーニン主義というこの真理はこばむことのできないものである。人民大衆は革命を望んでおり,世界革命は,いつかは,勝利するはずである。 ―――7000人大会における講話(1962年1月30日),1970年4月22日付『人民日報』より引用

 しかしながらこの半世紀を経て,マルクス・レーニン主義と共産主義運動の知的権威は地に墜ちた。知性を代表した共産主義はいまや民主主義の反対物のようにさげすまれ,私は亡命者の気分である。なぜか。ひとえに,共産主義者自身が自浄力を失ってしまったためではないか。かつて,プロレタリア文化大革命の知らせを受け取ったとき,私は,権力を握った社会主義国家がその権力を揺るがすことも辞さないほどの自浄力を持つことに感動し,共感した。ソ連の変質と中国の変色を前に,口ごもってしまった元・共産主義者たちに呼びかけたい。共産主義者の初心は「自らの見解を隠すことを恥とする」という立場にあったのではなかったか。ロシア革命をおのれの信条とするなら現在のロシアを徹底批判せねばならず,中国革命を支持するなら現在の中国を徹底批判しなければならない。正しいことを支持し,間違ったことは批判する――真理は実は簡単明瞭であり,それゆえ旗幟は鮮明でなければならない。 (毛沢東生誕129周年記念日に,M)

2022/12/23 「編集者のための組版講座」から その2

12/19付のつづき)「編集者のための組版講座」は,名前が示すとおり,編集-組版(-印刷・製本)の風通しが少しでもよくなるように,という願いからの企画だった。第4回の「質疑」で予定調和に流れて,私が言いきれなかったことをここに記録しておきたい。それは「顔を合わせての打ち合わせはどのタイミング?」との質問に対する応答である。私はついついはじめの顔合わせがだいじと言ってしまったのだが,「組版者から,新組みゲラ全ページが出された後で」と言うべきだったといま考えている。

 組版者は――他の人たちがどうやっているかは知らないので,ここは「私は」というべきかもしれないが――フォーマット案としてサンプル組版(見開き単位)を,一ないし二,三提案し,編集者がオッケーを出してから作業にかかる。組版は,書かれた言葉(原稿のテキスト)をかたちに定着させる仕事だから,かたちになって初めて気づくこと,思うことが出てくることは当然である。ここで赤字を入れる編集者や著者に対して「テキストを入稿前に完全なものに」と注文をつける組版者がいるかもしれない(そう言いたくなる気持ちはとてもよくわかるが)が,“テキスト原稿が発する情報”と“組版された版面が発する情報”とは,もともと異なるものだという認識が必要である。かたちになってからの気づきは,編集者,著者にとっても組版者自身にとっても,確かにあるのである。ここでの気づきと議論が,もっとも重要だと私はこれまでの経験から思う。
 これまでの組版仕事で,やってよかったと思える組版は,この段階で,編集者や著者からの,大小の違和感や意見・提案(ときにはちゃぶ台返しに近いものも含めて)をもらって設計から組み替え・補正したときのものだった。
 プロフェッショナルの組版者だという自負や経験があるからこそ,その本に最適な組版設計と組版施工の知恵を,自分一人のステレオタイプな思い込みではなく,(読者と著者を背負った)編集者からもらえることは,とても助けられるし,事実,助けられてきた。

 原稿指定を始める前に,編集者(版元)が(組版者の協力を得て)決定すべき事柄は,本来は次のとおりであり,丸投げは編集と組版の双方にとって何らよいことはなく,不見識である。

  1. 判型
  2. 組み方向(縦組みか横組みか)
  3. 本文に使う書体と文字サイズ
  4. 基本版面(字詰め,行数と行間,段数と段間)
  5. ノンブルと柱の書体,文字サイズ,組み位置
  6. 版面の判に対する位置(天地ノド小口寸法)
 編集者は,組版を知って(個々の技術ではなく,どういう事柄が必要項目としてあるのか,を知って),もっともっと,組版者やデザイナーに意見を出すようにしてほしいと思う。 (M)

2022/12/21 ページネーションの流動化

ページネーション(by 鈴木一誌)が流動化している。文字を並べて行をつくり,行を連ねてページをつくり,本になる――人類最大の発明のひとつである。
 変化の波,流動化のひとつの典型は,ウェブトゥーン(webtone)という,ページをめくるのではなく,スマートフォンやパソコンで縦にスクロールしながら読むマンガのスタイルである。韓国発で日本でも広がりつつある(→2022年,Webtoon(ウェブトゥーン)は日本でも流行るか?Netflixドラマ原作でも注目,マンガの新形態とは。AMBI,2022/08/08)。紙のマンガでは,ページをめくるときに最後に来るコマで読者の注意を引き,めくった後のコマのインパクトを増す「ヒキ」「メクリ」は,緩急のカナメでもあった。これが巻き物のように(紙の巻き物では横へ,であるが)縦へ縦へと流れていく。
 おもしろいことに,【検証】スマホ用の縦読みマンガ漫画(webtoon)を印刷すると何メートルになるのか? というか読めるのか?(ねとらぼ,2022/12/16)という,実験をやった方がいる。動機は,「本ならば「ページ数」というものがある。ただwebtoonにはページという概念がない。ページ数という分かりやすい目安がないので,一体どのくらいの長さなんだろうと疑問に思うわけだ。そこで印刷しようと思う。」というもの。「webtoonを読んでいて,内容はもちろんだけど,その長さにも驚いたので『強化レベル99 木の棒』第1話を実際に印刷して測ってみた。結果「100メートル11センチ」。予想以上に長かった。そして,いいこともなかった。かさばるし,風に弱いし,そもそも作るのは大変だし。」と指摘,「マジでスマホはすごい。webtoonを読むにはスマホに限る。実際に体験したから自信を持って言える。スマホでLINEマンガを読んでください,マジで。紙だと大変だから。」と結論づけている。紙で読み慣れた私からすれば,この実験結果は,逆に紙のページネーションの優位性を示すものにも思えるのだが,ともあれ,はやっているということは,そこに一定の時代と社会の要求があるからと考えるべきだろう。

 閑話休題。「JIS X 0451日本語文書の組版方法」という優れた工業規格がある。優れた,というのは,必ずしも「規範」ではなく,「記述」として時代と社会が求めている組版の現在を示すものとして,である。4.12ルビ処理の,4.12.3―5.2.1および5.2.2では,親文字群が行頭/行末に位置した場合に,ルビ文字列の先頭/最後尾を行頭/行末に合わせる,と規定し,親文字の先頭/最後尾とルビ文字列の先頭/最後尾をそれぞれ行頭/行末に合わせるやり方は,オプション(処理系定義)とした。これは,親文字列の行頭/行末揃えを最優先としてきた活版から電算写植に至るスタイル(SAPCOL含む)からすれば,大きな転換だった。
 組版は,行頭/行中/行末という位置のちがいによって,禁則処理だけでなくルビ処理から約物の字幅設定まで,変わる/変えることによって,読むことの連続性を保証する技術である。改行位置の決定という組版施工時の最重要課題もまた,この行頭/行中/行末のちがいによる厳密な区別をもとにしたものだった。これを処理系定義というオプション(副次的扱い)に緩めて,行頭や行末での処理を行中での処理と同じものにしていくというのは,改行という切断面の力が弱くなってきたという時代と社会の流れが背景にあるのではないか。
 考えれば,ネットの記事組版からフロー型電子書籍に至るまで,行の区切り(改行)を読者(受信者)が左右できる媒体が増えてきていることが背景にあると考えれば,合点がいく。SAPCOLを和文組版の最高峰と考えてきた私にとっても,これは一つの衝撃だった。ここにも,変わりゆく組版の現在がある。うつりゆくこそ ことばなれ。 (M)

2022/12/19 「編集者のための組版講座」から その1

9月から12月まで月イチで開催した「編集者のための組版講座」は,場を用意してくださった主催・読書人の明石健五さん,ともに講師を担当した朝浩之さん(第2回担当),大友哲郎さん(第3回担当)に助けられ,また,直接来場・オンライン参加のみなさんの積極的な質疑に刺激を受けて,私自身,おおいに勉強になった。今後も,こうした人びととの交流と討議を通じて,深めていきたい。ここで,私が担当した第1回と第4回のレジュメを公開して,さらに広く議論をよびかけるものである。

 (M)

2022/12/18 歴史の転換点と批判精神

12月17日付の新聞各紙は,前日の安保関連3文書改定の閣議決定を1面で報じた。ネットでその見出しを拾うと,朝日新聞「戦後日本の安保 転換/敵基地攻撃能力保有 防衛費1.5倍」,毎日新聞「反撃能力保有 閣議決定/安保3文書 政策大転換」に対して,東京新聞は「専守防衛 形骸化/敵基地攻撃能力を閣議決定」である。朝日,毎日は「転換」というが,何から何への,何の転換なのか,不鮮明である。

 これに対して東京新聞は「転換」という言葉を使わずに「専守防衛」という第二次世界大戦敗戦後の,日本の政府と権力による政策の転換を「専守防衛 形骸化」と的確に報じた。川田篤志記者の記事は「首相は昨年十一月,二二年中の三文書改定を表明。今年に入って政府の有識者会議が設置され,与党協議も行われたが,いずれも非公開だった。」と結び,政治部長・高山晶一署名記事も「防衛費大幅増のための増税も,原発の運転期間延長も高齢者の医療負担増も,今夏の参院選での与党の公約で明示されていない。/主権者である国民の信任を得ていない政策転換を,次から次へと続けるような政治は,民主主義に基づく政治とは言えない。」と指摘した。さらに同紙は2面で「核心・日本の安全高まるのか」,3面で「さらなる防衛増税に懸念」,8面で「安保3文書の詳報・要旨」,24・25面で「復興税転用 被災地の思い」,27面で「「平和が遠のく」市民の声」,4面で「海外の反応」と、すべて「専守防衛 形骸化」を裏づける客観的事実を特集している。さらに,5面社説は「平和国家と言えるのか」である〔リンク先はいずれも東京新聞 TOKYO Web〕。

 ここにジャーナリズムの基本である批判精神がある。千年後の歴史年表にもゴシック体で書かれるかとさえ思うこの事件によって,ジャーナリズムの批判精神がいまどうなっているかが照らしだされた。私は東京新聞を支持する。 (M)


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