繙 蟠 録 II 2019年10月
- 2019/10/23 和文組版理論史(1)
連載中の「和文縦組みの組み方」の途中であるが、ここで和文組版の理論がどのように発展してきたのか、歴史を振り返っておきたい。
文字組版におけるアナログからデジタルへの転換とは写植からDTPへの転換ではなく(!)、活版と手動写植から電算写植への転換であった〔注1〕。なぜなら、ここで職人のカンとコツという実践と経験がはじめてコンピュータ処理と出会い、組版ルールとして言葉になったからである。このことはいくら強調しても強調しすぎとは言えない。実践的にはすでに1960年代に活字組版は円熟した組版を実現していた(一例として、岩波書店刊『日本古典文学大系』第1期第2期、1957-1967を挙げておく)が、まだ整備された理論となっていなかったのである。
活版や手動写植から電算写植への移行は、新聞の分野が早く、写研は「サプトンN」の試作機を1960年10月に発表、65年7月には実用機を公開した。66年9月、社会党機関紙印刷局に導入され、漢字さん孔機(キーボード)による紙テープの再さん孔と全自動活字鋳植機による組版修正は、活字組版による小組―大組差し替えを圧倒した。印字速度は毎分300字(全自動鋳植機の3倍相当)〔注2〕。やがて67年10月、朝日新聞(北海道)が使用を開始、68年1月には佐賀新聞が紙面すべてをサプトンNで制作、3月から日本の日刊紙ではじめて全ページを活版からサプトンに移行し、69年に日本新聞協会から「新聞製作工程の全自動写植化により経営の合理化を果たした」として新聞協会賞を受賞する〔注3〕。以後、日本海新聞、山梨日日新聞、高知新聞と地方紙の導入が相次いだ。当時はまだ端物には写植が入っていたが、本文は活字組版が主流であり、大手印刷会社が全自動活字鋳植機を導入し始めていた。
写研は1969年、「写植ルール委員会」を設置、社内外の専門家を集め、検討の結果を1971年から広報誌に「写植組版ルール講座」として掲載、1975年に『組みNOW 写植ルールブック』(編集・写研写植ルール委員会、B5判158ページ)としてまとめた。これは和文組版の理論発展史の礎を築いた、歴史的意義を持つものであった。元・写研システム技術部長の小野沢賢三さんは次のように書いている〔注4〕。- SAPCOL-HSの開発にあたっては、従来のSAPCOL-D1の機能の全面的な見直しを行うとともに、この写植ルール委員会の検討結果を取り入れ、編集組版ソフトウェアの仕様が決められた。
SAPCOL-HSには、行頭行末禁則、分離禁止、字上げ字下げ、欧文(自動ハイフネーション処理)、縦中横、割注、振り分け、アンダーライン、圏点、ルビ、連数字、文字揃え・行揃え、異サイズ混植、和欧文混植、変形サイズ、詰め組、同行見出し・別行見出し、字取り・行取り、表組、赤字訂正などの本文組版処理と、版面指定、多段組(段組の自動折り返しや見出し禁則処理)、段抜き見出し、段間指定・段間罫出力、固定ブロック・フローティングブロック、毎ページ出力、罫引き・罫巻き、柱位置指定・柱文出力、ノンブル位置指定・ノンブル出力、トンボ出力などのページ組版処理が組み込まれ、書籍のページ組版を実現することができた。
和文組版における基本的な用語定義は劃期的なものだった。これらの用語は、以後、JIS X 4051をはじめ、和文組版の理論上の基礎となった。この歴史的意義は、たとえば、維新期に考案された和製漢語(たとえば、文化、思想、資本、階級、哲学、意識、主観、客観、時間、空間、理論、文学など)がいかに日本社会への近代(思想、技術など)の受容を助けたか、想起すれば明らかであろう。SAPCOLの先進性は、一例を挙げれば「振り分け」である。これは割注に似た機能で、本文1行中に多行の折り返しを行うもので、振り分けの行長を設定して自動的に折り返しを行うことも、行長を設定せずに[項段]によって折り返し箇所を指定することもでき、また、振り分けの中にさらに振り分けを使うこともできた。振り分けの揃えパターンは行方向は右揃え(横組みでは上揃え)、中揃え、左揃え(横組みでは下揃え)でデフォルトは中揃えである。字詰め方向は、頭揃え、末揃え、中揃えでデフォルトは頭揃えである。組版言語SAPCOLには、和文組版の歴史への視座にもとづく的確な哲学と理論があった。それゆえ後に、中国における北大方正の組版言語にも影響を及ぼした〔注5〕。
このころ、日本写真製版工業組合連合会・全日本印刷工業組合連合会・日本軽印刷工業会による『写真植字のための組版ルールブック』(編集・ルールブック編集委員会、1973年6月初版)が出された。「序」が「写植による組版に、いわゆる「組版ルール」の不在が指摘されてから久しい」と書き始めているように、本文組版の活版から電算写植への移行にあたっての組版ルールへの希求が背景にあった。また、1988年7月、日本エディタースクールが設立した出版教育研究所の勉強会として「組版を考える会」が発足、成果として1991年10月に『電算写植における縦組の組方原則〈検討資料〉』(出版教育研究所・会報特別号、B5判37ページ)が出され、「活字組版から電算植字への転換は、出版の現場にさまざまな影響をおよぼし……組方一般のルールである組方原則について、従来の考え方をそのまま適用してよいのか、もっと別の方法はとれないのかといった問題を発生させ」という問題意識とともに「活字組版よりは、細部の処理などについて、機械的には数段すぐれている電算植字の技術をいかに生かすか、読者にいかに読みやすい、美しい組版を提供するかは、本づくりに携わるものにとって欠かすことのできない課題だ」と提起した。 〔つづく〕- 注1 拙稿「電算写植死すとも、コーダー精神は死なず 組版言語、組版規則、職人気質」2019年10月
注2 小野沢賢三「電算写植システムの開発(その1)」2007年
注3 立花敏明「新聞製作技術の軌跡(第15回)」(日本新聞製作技術懇話会広報委員会『CONPT』VOL.42 No.1、2018年1月)
注4 小野澤賢三「電算写植システムの開発(その2)」2007年
注5 拙稿「中国電子出版軟件事情 北大方正で見た中国のWindows DTPシステム」1994年7月
(M)
- SAPCOL-HSの開発にあたっては、従来のSAPCOL-D1の機能の全面的な見直しを行うとともに、この写植ルール委員会の検討結果を取り入れ、編集組版ソフトウェアの仕様が決められた。
- 2019/10/21 「電算写植死すとも、コーダー精神は死なず」
10月19日、大阪市北区のメビック扇町で開催中の「文字と組版、印刷」展(会期・10/14~10/22、主催・大阪DTPの勉強部屋)の展示会記念セッション「電算写植」において、発表・配布した文書を公開します。
「電算写植死すとも、コーダー精神は死なず 組版言語、組版規則、職人気質」(A5判 12ページ、PDF 1,883kb)
(M)
- 2019/10/16 注目すべき新刊『戦前不敬発言大全』
▼「不自由展実行委員会、あいトリ閉幕に際し声明発表。「より広く強い連帯が必要」」(美術手帖 2019.10.15)。▼「戦前の日本は「挙国一致」ではなかった!」(デイリーBOOKウォッチ 2019/10/14付)という記事を見つけた。高井ホアン『戦前不敬発言大全 落書き・ビラ・投書・怪文書で見る反天皇制・反皇室・反ヒロヒト的言説』パブリブ、2019年6月、という新刊の紹介である。かかる時期にまことにめでたい。まだ見ていないが、刊行を喜びたい。
本書は「戦前ホンネ発言大全」というシリーズの第一巻で、第二巻は『戦前反戦発言大全 落書き・ビラ・投書・怪文書で見る反軍・反帝・反資本主義的言説』。合わせて1000件ほどの具体例掲載とのことというから労作である。以下に、記事から一例を無断で孫引きする。- 「今に飯が食えなくなるぞ/産業戦士とおだてられ良い気になってる馬鹿野郎 戦争に勝っても負けても俺達の生活に変りない/戦争をやめろ(職工)/ブルジョアを増長させるばかりだ(プロレタリア)」
真珠湾攻撃で日本中が「勝った勝った」と沸いていたとされる時期に、こんな落書きがあったということに驚く。そして日記が調べられ、「不敬」とみなされた箇所が見つかる。結局、不敬罪並びに言論出版集会結社等臨時取締法違反により懲役10か月の判決。「便所の落書きと日記」でかなりの罪である。
10月22日の不愉快(予定)を愉快に変える方策と仲間は必ず法則的に存在する――という私の確信は、ここに事実として確かに裏づけられた。めでたい。 (M)
[2019.10.21追記]「詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)」10月17日が、やはりこの本を紹介しており、「とてもおもしろい。いまの人間は「言論の自由」を信じているが、昔のひとの方が「自由」だ。憲兵に取り締まられたかもしれないが、そして実際に拷問で死んで行ったひともいるが、なんといっても「精神が自由」だ。言い換えると、「批判力」がある。いまの日本は「批判力」をなくした人間しかいない。「批判」をしないから、圧力をかけられない。それだけのことなのに「自由」だと思い込んでいる。」と書いている。深く同感、同意。
- 2019/10/15 生きる権利を守れ! 黙って野垂れ死ぬな!(追記あり)
「避難所がホームレスの受け入れ拒否 村本大輔「税金は払える人が払えば」」(livedoorニュース 2019/10/13)。私は村本さんの発言を支持する。台東区の対応については、一般社団法人あじいる代表・今川篤子さんが「災害時における台東区の野宿者への対応 台風19号対策において、台東区がホームレスの人々の自主避難所への受け入れを断ると決定した件について」(2019/10/12)で批判している。台東区災害対策本部の「今後避難準備・避難勧告が出る可能性があるが、ホームレス(住所不定者)については、避難所は利用できないことを対策本部で決定している」という方針は、人としての生きる権利を真っ正面から踏みにじるものであり、一片の道理もなく、不当である。住民票がないからという理由で、人としての基本的な権利を踏みにじることは許されない。 (M)
【2019.10.15追記】「台東区長、ホームレス拒否で謝罪 台風避難所、「対応が不十分」」(Yahoo!ニュース 2019/10/15)
【10.17追記】「路上生活者の避難拒否 自治体の意識の差が浮き彫りに 専門家「究極の差別だ」」(毎日 10/13)
大西連「台東区のホームレスの人の避難所受け入れ拒否問題を考える」(Yahoo!ニュース 10/13)
「台東区“避難所ホームレス排除”に賛同する差別的主張が…ウーマン村本は「納税での選別」思想を真っ向批判」(リテラ 10/15)【台東区へのグロテスクな賛同であふれかえったヤフコメ欄/台東区の対応を批判する声はほとんどなく、「受け入れ拒否は当然」と、むしろホームレスの人や支援団体のほうを非難する声ばかり。ここは本当に近代民主主義国家なのだろうか。「ホームレスの人がいると衛生や防犯が心配」などという剥き出しの差別心を公の場で発露することになんの躊躇もない人間がこんなにたくさんいるとは、近代民主主義国家どころか差別大国としか言いようがない。】【小泉政権で始まった自己責任論は安倍政権で自然災害被害者にまで広がった】【政権に乗せられた被災者、ホームレスへの攻撃は国民自身に返ってくる】……そのとおり、こういう奴隷が関東大震災時に朝鮮人を虐殺しておきながらなかったと強弁するのだ!
『東京新聞』10/16付26・27面(特報)が「台風19号 避難所で野宿者受け入れ拒否―台東区/ずぶぬれの雨「避難者を選択」/住所不定お断り 「観点抜けた」と釈明/東京五輪控え 排除強化 職員「ここで寝るな」/災害時も猛威「自己責任論」/新自由主義が破壊する「お互いさま」/税金納入⇔サービス受給 露骨に」……立場・観点がしっかりした記事、必読! (M)
- 2019/10/14 在日朝鮮人に対する「帰国か帰化か」二者択一論を批判する
瀬谷健介「「私は在日3世」。彼女は手を震わせながら、渋谷で聴衆の前に立った。 在日コリアン3世だと語る女性が投げかけた言葉。」(BUZZ FEED NEWS 2019/09/07)。近年、よくきく「朝鮮人は国に帰れ」「在日帰れ」という主張はハッシュタグになって、酷い差別発言が繰り返されている。悲憤にたえない。
『思想』1985年8月号が「朝鮮と日本 戦後40年を考える」という特集を組んでおり、私の尊敬する朝鮮近現代史研究者である梶村秀樹(1935-1989)が「定住外国人としての在日朝鮮人」を書いている。この論文で、梶村は、かつての日本による朝鮮植民地統治が、在日朝鮮人の多くをして、国境をまたぐ生活圏を形成せしめたという歴史的形成過程を明らかにし、現下の「国境をまたぐ生活圏」は、意識以前に生活の実態としてあり、歴史が形成させたものである以上、本人の責任如何という筋合いのことではないと指摘している。
そのうえで梶村は、入管行政をはじめとする権力による「帰国か、帰化か」という二者択一論を次のように批判している。- こうした政府当局者の二者択一強要論の根底には、国家至上主義的ともいうべき思想が横たわっているように思われる。国家と人民の関係は一方的な国家→人民という関係としてのみ観念されており、国家は人民を管轄・支配・保護する能動的存在であるのに対して、人民は国家に対して受身に忠誠を尽くすべき存在として措定されている。人民(例えば定住外国人)の生活の実情に即応して国家の方が制度を改善すべきだなどとは思いも及ばず、事実上、国家の都合に応じて人民の生活が枠付けられるのが当然だと考えている。だから、「国家をまたいだ生活圏」は、いずれかの現存国家の枠内に整理してむりやり封じこめられるべきものとなってしまうのである。〔中略〕/こうした硬直した国家至上主義の観念こそ、政府当局者にかぎらず日本社会に広汎に浸透しているものだが、実は極めて日本的な特異な観念形態であるといわねばならない。/朝鮮においては、遠からぬ一九四五年八・一五解放の直後期に自主的建国運動を経験したこと、現に南北分断国家の情況下にあることなどの歴史的経緯から、一般にこうした硬直した国家観はなく、おのずから現存国家を過渡的なものとして相対化する視点が持たれている。こうした国家観の差異を無視し、特殊日本的な国家観が普遍的に定住外国人にも持たれているものであるかの如き錯覚を前提としていることにも、入管行政がたえず問題を生む原因がある。〔中略〕/こうした背景のもとで、在日朝鮮人が日本に定住しつつも日本国家への帰属を否認するとき、それを裏返した観念は、日本側が神経を尖らせるような現にある南北いずれかの国家への忠誠観念では必ずしもなく、一般的には、国家への帰属意識というよりは、全体としての民族への帰属意識、南北と在日等をひっくるめて苦難と闘う民衆との一体化の希求と表現した方が適当なものとしてある。〔p.32〕
国家観のちがいにしろ、この溝は、私たち日本社会の側から埋めるほかはない。歴史への視座を持つこと、そのうえで、特殊日本人は、在日の定住外国人から国家と自己との関係を相対化してみる普遍的な見方を学んでいくべきであろう。梶村は、以下のように結論的にまっとうに指摘している。
- いずれにせよ、全体としての在日朝鮮人の定住外国人としての意識は、国家への帰属意識というよりは、民族への帰属意識であり、それとして母国との紐帯を希求しているが、それは特殊日本的な国家の保護・人民の忠誠という物指しではかりきれない実体をもっており、「朝鮮人であり続けたいなら、帰国するしかない」などときめつけるわけにはいかない。「定住外国人」としての真実をあるがままに認め、「定住外国人などというものはあってはならない」という考え方を捨てるほかないのである。〔p.34〕
(M)
- 2019/10/12 和文縦組みの組み方(4)
承前。
- 行頭/行中/行末の四字ルビ
行頭や行末でルビ文字が三字以上の場合でも、被ルビ文字(親文字)を行頭行末の並び線から引っ込める方法はとらない。また、隣接文字へのルビかけは、仮名に対してはルビ全角、漢字に対してはルビ半角とし、親文字同士のベタ組維持を基本にする。
行頭の四字ルビは、次のように処理する。直後が仮名ならば本文文字半角アキにルビ一字、仮名にルビかけ一字とする。直後が一字ルビ漢字ならば漢字間は二分四分(〇・七五字分)アキ、ルビかけ半角とする。直後が二字ルビ漢字ならば、漢字間は全角アキ、ルビ同士はベタ組となる。直後が三字ルビ漢字ならば、漢字間は全角四分(一・二五字分)アキ、ルビ同士はベタ組となる。
行中の四字ルビは、次のように処理する、直前直後が仮名の場合、それぞれルビかけ全角とし、親文字のベタ組は維持する。直前が一字ルビ漢字、直後が仮名の場合、直前は四分アキでルビかけルビ半角、直後はルビかけルビ全角、親文字同士はベタ組となる。直前が二字ルビ漢字の場合は半角アキでルビかけなし、ルビ文字同士はベタ組となる。直前が三字ルビ漢字の場合は二分四分(〇・七五字分)アキ、ルビ同士はベタ組となる。
行末の四字ルビは、次のように処理する。直前が仮名ならば本文文字半角アキにルビ一字、仮名にルビかけ一字とする。直前が一字ルビ漢字ならば漢字間は二分四分(〇・七五字分)アキ、ルビかけ半角とする。直前が二字ルビ漢字ならば、漢字間は全角アキ、ルビ同士はベタ組となる。直前が三字ルビ漢字ならば、漢字間は全角四分(一・二五字分)アキ、ルビ同士はベタ組となる。 - ノンブル
書体は、本文で使うノンブルと索引で使う参照ノンブルとは同一にする。位置は、天/小口の場合も地/小口の場合も版面から本文文字サイズの整数倍離し、本文の最も小口寄りの行の直上、直下には配置しない。 - 圏点、傍線
圏点は中付きとし、縦組みではゴマ点を基本に用いる。圏点を付す字句や文は、たとえ本文を仮名ツメ、メトリックスで組む場合であっても、字送り均等和文等幅組にする。また、句読点や括弧類には付さない。 - 本文中の註釈番号
註釈番号は、対象の語、句、文(末尾の句読点や終わり括弧類は外して)に対して、下揃えで配置する。当該箇所にルビや圏点がある場合は、その外側の階層に付すものとする。
〔つづく〕 (M)
- 行頭/行中/行末の四字ルビ
- 2019/10/01 再掲/「文字と組版、印刷」展へのお誘い
10月14日から22日まで大阪・メビック扇町で「「文字と組版、印刷」展 〜アナログからデジタルへの変遷〜」が開催されます。主催は、大阪DTPの勉強部屋(問合せ先は info@osakadtp.com 、Webサイトは http://www.osakadtp.com)。展示会・勉強会・参加申込詳細は http://wsm.jp/2019tenji/ を参照ください。
開催趣意に心から賛同して元・電算写植コーダーのひとりとして私も参加します。またお声がけいただいたので、10月19日(土)14時からのテーマ「電算写植」・展示会記念セッション2:海輝氏、枝本順三郎氏との鼎談に出ます。ぜひ、ご参加ください(参加費無料)。
- 【関連】
「組版の哲学を考える~規範的ルール観からの解放を!~」2000年8月、『WindowsDTP PRESS』vol.8(技術評論社 2000年8月発行)掲載
「装丁/ブックデザイン/書物はだれのものか」2003年9月、『ユリイカ』2003年9月号 所収
「書評・府川充男著『組版原論 タイポグラフィと活字・写植・DTP』」1996年7月、北海道写真植字協同組合『moga』No.15(1996年7月1日)掲載
(M)
- 【関連】
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