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繙 蟠 録 2010年2月後半

2010/02/24 在日朝鮮人の民族教育への介入を許すな!

kscykscyさんがブログ「日朝国交「正常化」と植民地支配責任」の 2月17日付「『産経新聞』は何を「明らかに」したのか――朝鮮学校と高校「無償化」問題」と2月23日付「「公的確認」の論理と教育「内容」の問題――朝鮮学校と高校「無償化」問題②」で文科省の高校「無償化」排除の論法に対して厳しく批判している。私は,kscykscyさんと怒りを共有し,朝鮮学校に対する文科省の高校「無償化」排除論,および歴史的視座を欠いたままこれと軌を一にする日本社会の風潮に敢然と異を唱えておきたい。

 とりわけ「北朝鮮が過去半世紀以上にわたり,在日朝鮮人に民族教育を行う各種学校「朝鮮学校」に対して総計約460億円の資金提供を実施し,昨年も約2億円の「教育援助金」を送金していたことが10日,明らかになった」とする『産経』2月11日付web版は歴史の隠蔽,いや改竄によるデマゴギーとして悪質である。詳しくは前掲ブログによる批判を全文お読みいただきたいが,【朝鮮民主主義人民共和国から教育援助費をもらうことを理由に,各種学校が対象になっているにもかかわらず,朝鮮学校を高校「無償化」から排除することは,何ら合理的根拠の無い差別である。韓国学校であれ,ブラジル人学校であれ,財政状況が苦しいなか本国から金銭的支援を受けているケースは朝鮮学校に限らず存在する。何が悪いというのか】。

 このような【無定見な報道は,教育課程の審査を越えて,教育「内容」の審査にまで文科省に踏み込ませる方向へ世論を誘導する可能性がある。朝鮮学校が各教科でいかなる「内容」の教育をしているのかをつまびらかにしなければ「無償化」の対象に含めない(あるいは判断すら開始しない)ような状況は,言うまでも無く政府による教育内容への差別的干渉である。各紙が無知でそうしているのか,狙ってやっているのかは私には判断できないが,こうした「事実」報道がスクラムを組んで在日朝鮮人の民族教育の立地を日々がけっぷちに追い込んでいるのである】。決して許してはならない。(M)

2010/02/23 批判精神とは何か

きのう,マイミクさんおふたりとお会いし,とても楽しいひとときを過ごした。こういう素敵な方々がいるのだから,この社会にもまだまだ希望はあると思った。

 会話の中で,最近の若者(って言い方,年寄りの繰り言みたいでヤですが)は批判的に考えるという訓練を受けてないという話になった。はて? では,私たち――懇談した三人をとりあえず“私たち”とくくっておく――は,どこで,マスコミは嘘つきだと知って,ひとつひとつ吟味するようになったのだろうか。あるいは,“良心的”知識人や“革新的”活動家たちの言っていることは十二分に疑いうると判断するようになったのだろうか。

 批判精神涵養訓練など受けたことはない。これだけは確かである。

 つらつら考えてみると,転倒に気付く。この社会でハバをきかせている人びと,優等生,一人前,金持ちたちとその手先によって,劣等生,半端もん,貧民はドレイ精神涵養訓練を受け続けているのだ。これが,ある哲学者のいう「世の中でハバをきかせている考え方は,その世の中でハバをきかせている階級の考え方だ」という意味なのだ。

 したがって,批判精神もどこかで鍛錬して身につけるものでもなく,また,一度身につければ後は大丈夫というものでもないのである。日常的に習慣の力と共にシャワーのように浴びせられるドレイ精神涵養の雨と対峙し,考え,批判しなければ,またまたドレイになってしまうということなのである。(mixi日記2009/06/21(原題:素敵な人たちと批判精神)の再録,M)


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