繙 蟠 録 2010年5月後半
- 2010/05/24 豊浦清さんの訃報に思う
先週,豊浦清さんの訃報をきいた。13も年上で直接の面識はないが,私がML派の高校生組織(高校生解放戦線)にいたとき,指導組織の日本ML同盟の政治局員だった方である。いろいろお聞きしたかったことが残った。
連合赤軍事件の全体像を残す会編『証言 連合赤軍 4 毛沢東派の潮流』2005年3月,ISBN4-915252-72-8,には2004年7月に行われた豊浦さんへのインタビューが掲載されている。豊浦さんは川島宏祥さんの問いに答えて,連合赤軍の敗北(粛清)と70年6月のML派の敗北(玉砕)とは同じ敗北だったのではないかと述べている(pp.31-32)。
- つまり,あの時の新左翼運動が共通に持っている現れ方が,今,川島さんが言っているように,玉砕だったり粛清だったり内ゲバだったり,これは同じじゃないかな。
もう少し根本的に,その前段に戻って,こういう運動形態なりこういう路線は本当に革命につながるのか,世の中の改革につながるのか,というところを問い直さないと。それはもしかすると,マルクス主義を教条的に,あるいは毛沢東思想を教条的に持っていた我々の側にそういうものを生み出す要素があったんじゃないか,という風に思っておいた方がよいのではないか。新左翼運動全体の弱点とは何なのかというように思っていた方が,間違いがないんじゃないか,と思いますね。
同感である。敗北の事実を直視することを避けたり,自分たちは違うと他人事にしたり,ましてや勝利し続けているなどという“総括”からは何も生まれない。〈われわれ〉は敗北を重ねつづけている――これが客観的事実である。(M)
- つまり,あの時の新左翼運動が共通に持っている現れ方が,今,川島さんが言っているように,玉砕だったり粛清だったり内ゲバだったり,これは同じじゃないかな。
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