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2010/12/13 「もうひとつ」という普遍性 紹介『もうひとつの全共闘』


新刊,芝工大闘争史を語る会『もうひとつの全共闘 芝浦工大全学闘1968−1972』柘植書房新社をすすめる。

 書名に惹かれて買い求め,一気に読んだ。これまで出た類書(68年モノ全共闘モノ)のなかには,“1周遅れの全共闘”と言われた私たちの姿は見つからなかった(私は66年中学入学69年高校入学の全共闘最年少派)。しかし,本書には確かに「ぼくが居た!」。「もうひとつの全共闘」とは「高校(中学)全共闘の圧倒多数」にほかならない。全共闘運動を代表して語ることなど誰にもできないだろうが,本書に記された芝浦工大の全共闘運動には「もうひとつ」と控えめなタイトルながらも普遍性がある。

 4章末の「党派活動ではいやな思い出ばかりでしたが,全学闘活動は楽しい思い出ばかりです」との回顧を読んだときにはニヤリとしてしまったが,これはそっくりそのまま私の思いでもある。

 反動派の暴力よりも抵抗の暴力が強い。団結した大衆闘争の生命力は,その暴力を超えた,暴力以上のあるものなのである。本書の随所に見られる愉快なエピソードはそのことを事実で裏づけている。

 わが高校の全共闘たる灘高全学闘争委員会もまた,クラスを基礎にクラス討議をかさねクラス新聞を刊行する徹底的な大衆運動であった。だからこそ(民青を除く)8つの(!)党派の間にはさいごまで「内ゲバ」はなかった。

 「学内の教育闘争は低次元で安保などの“政治”問題が高次元」などと新左翼諸党派は布教しようとしたが,クラスに根ざした大衆闘争として闘っていた高校生運動は,学生運動ほどは観念にまみれていなかったがゆえにそういう考えには与しなかったのである。本書で記されている芝浦工大や日大のように学内の教育闘争をどこまでも追求すべきだったし,また,全国全共闘を東大を盟主にして党派連合でこしらえたりせずに,日大や芝浦工大をリーダーにして頑張ればよかったのだ,と今にして思う。

 誰よりも全国の中学生,高校生,フリーター,ニートの仲間たちに,本書を読んでもらいたいと思う。(M)

【関連リンク】もうひとつの全共闘ブログ


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