繙蟠録 I & II
 

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繙 蟠 録 II 2016年4-12月

2016/12/22 書物論研究会Ⅲ - 第3回へのお誘い
3年目の最終回テーマは「本と手紙の闘い」
  • 日 時/2017年1月21日(土曜)13時~16時
  • 会 場/四谷ひろば B館3階ライブラリー
  • 受講料/1800円(第1回第2回受講者は1000円)
  • 定 員/50名(先着順)
  • 申込先/life@tamabi.ac.jp 生涯学習センター講座案内の申し込み要項詳細をご参照ください。
  • 主 催/多摩美術大学生涯学習センター
  • 共 催/多摩美術大学芸術人類学研究所
        多摩美術大学芸術学科書物設計ゼミ

 メール・SNS・ネット環境は、近代における手紙と本との敵対関係(手書き/活字、私/公、オリジナル/複製、破片/全体……)を溶解し、解消したかに見えます。しかし、このバリアフリー化、ポストモダン化は、人間の根源的な行為としての「読み/書き」の頽廃を肯定していないでしょうか。

 「ことば・郵便・アート」最終回となる第三回は、ネット環境の出現に先立って「手紙=本」という矛盾を体現した書籍を講師三人が十冊ずつ持ち寄って展覧に供し、手紙と本との創造的な葛藤の可能性を改めて考察します。

チラシ(pdf)

2016/08/22 書物論研究会Ⅲ - 第2回へのお誘い
第2回 歴史の事実を証明するものは何か 前島密、柳田國男/エディトリアルデザインの根/葉書で哲学を贈る
  • 9月17日(土)13時~17時
  • 会場/四谷ひろば(定員40名)
  • 受講料/2000円(第1回受講者は1000円)
  • 受付/333discs http://www.333discs.jp/contact/

【講義】前田年昭「歴史の事実を証明するものは何か 前島密、柳田國男」

 歴史の事実を証明するものは記憶か記録か。記録とは何か。当事者による文字史料は史実の根拠たりうるのか。歴史は物語だという考えは、多様な解釈があるのみという不可知論に帰着してしまうのではないか。目の前のできごとについてすら他者とそう容易に分かりあえないのに、過去の史実について分かりあうことは可能なのか。歴史の書き換えとは現在の立場に対する立場と観点の変化にほかならない。叙述が先か事実が先かという形而上学的な立論ではなく、その往復運動こそが歴史なのだ。
 『古事記』は、稗田阿礼が誦習したものを太安万侶が書き記し、編纂した。『遠野物語』は、佐々木喜善が語ったものを柳田國男が筆記、編纂した。映画『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』は、近藤正二らと見聞を語り合ったものを森﨑東がまとめた。
 日本の郵便制度の創設者として知られる前島密は、言文一致運動の先駆だった。彼の苦闘の足跡を中心に言文一致運動の歴史的意義を考えたい。人と人との交通の痕跡としての口承が一次史料として再発見されるべきこと、および歴史叙述とは、現在への認識を改めることによる過去の再構成である―との仮説を提出する。

【発表】赤崎正一「エディトリアルデザインの根」

 エディトリアルデザインの現場から考えます。われわれが基盤としているDTPシステムには「根」がないのだと。「根」は水と草木の繊維でなる「紙」と、その表面の皺に滲む液体、墨やインク、そしてその痕跡である「ひらがな」に求めます。いくえにも絡まる「根」がことばを運びます。

【実習】平出隆「葉書で哲学を贈る」

 移動する物体としての葉書において、時間、空間はどのように現れるか。一枚の葉書が帯びるもの(文面、絵柄、デザイン、表記法)によって、時間、空間の現れる様相は変わってくるのではないか。「過去からの葉書」と「空中郵便局」を試みます。すると、時間と空間の現れ方が複雑化しはじめます。

チラシ(pdf) →チラシ(jpg)

2016/06/11 鈴木広光先生特別講義「連続と切断の文字たち 明朝体活字導入の前と後」

【タイトル】連続と切断の文字たち ― 明朝体活字導入の前と後 ―
 (2016年度組版・タイポグラフィ論(担当教員・前田年昭)特別講義)

【概要】明治初年に明朝体活字による西欧式活版印刷術が導入されることによって、日本の文字環境は大きく変わりました。この技術による文書の大量複製が、広範囲にわたる情報伝達を可能にし、それを享受する大量の読者を生み出したことはよく知られています。その一方で明朝体は、長い間の書字活動や整版による印刷活動を通じて培われ、ジャンルや文体意識に裏付けられてきた様々な書体と、その書体によって構成される書記表現様式の解体を促すことになります。それは、規格化された既製品=予め用意される「単位」であるがゆえに、人々の言語生活や言語文化の歴史的伝統といった具体的な「場」と離れても存立し得るという、鋳造活字に内在する論理が発現したものでした。この講義では、明朝体活字導入に伴う漢字や仮名の変容の過程を、歴史的「連続」性とそこからの「切断」という観点から論じてみたいと思います。

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【プロフィール】鈴木広光(すずきひろみつ)奈良女子大学教員。専門は言語史、印刷史。著書に『日本語活字印刷史』(名古屋大学出版会、2015年)、『文字のデザイン・書体のフシギ 神戸芸術工科大学レクチャーブックス』(共著、左右社 2008年)などがある。

【日時場所】2016年7月16日(土)14時40分〜17時50分(4・5限)
 神戸芸術工科大学ビジュアルデザイン学科7101教室
 学外聴講自由(予約申込不要・無料)

【参考文献】近代印刷活字文化保存会『日本の近代活字 本木昌造とその周辺』(2003年)
 府川充男『印刷史/タイポグラフィの視軸』(実践社、2005年)
 府川充男他『組版/タイポグラフィの廻廊』(白順社、2007年)
 小宮山博史他『活字印刷の文化史』(勉誠出版、2009年)
 小宮山博史『日本語活字ものがたり 草創期の人と書体』(誠文堂新光社、2009年)
 鈴木一誌・戸田ツトム『デザインの種』(大月書店、2015年)
 鈴木広光『日本語活字印刷史』(名古屋大学出版会、2015年)

2016/04/08 3年目の書物論研究講座へのお誘い

平出隆さんからのお声がけで始めた協働、書物論研究講座が3年目になります。以下の要項で呼びかけ、お誘いします。
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Crystal Cage College四谷書物論研究講座
ことば・郵便・アート 本をつくる・歴史をつくる III

紙を束ねて〈本〉とすることで、人びとは世界をひろげてきました。ことばや絵を紙に載せ、心をこめて他者へ送り届ける〈郵便〉というスタイルもまた、人間の本質に根ざしたものです。人と人とがつながりあいたいという本能的な欲求は、社会制度に直接左右されることなく、郵便を工夫して作りだし、育ててきました。通信技術の発生と歩みを検証し、郵便アートのさまざまな魅力を学び、実習によって自分の可能性をも探ります。

第1回 5月28日(土)13時~17時

【講義】平出隆「ポスタル・アートを概観する」

通信技術や通信制度とアートとの関わりにはどのようなものがあり、それはどのような人類史の源に通じているのか。河原温、ドナルド・エヴァンズとの間に言語の作品や思考を展開してきた論者が、近現代の美術にあらわれたさまざまな「郵便との刺激的な遭遇」をとりあげ、その魅力と本質を語る。

【発表】澤直哉「世界の中に外をつくること」

平出隆『葉書でドナルド・エヴァンズに』における「郵便=制度」を結節点に、書物の見果てぬ夢としての「全体=われわれ」という「恐怖の研究」と、その裏面である「部分=わたし」の反転の様々な形態を、「世界の中に外をつくること」として、いくつかの固有名を呼び寄せつつ探求する。

【実習】前田年昭「折り紙郵便と組継ぎ本」

古代の粘土板による郵便に想いを馳せて折り紙郵便を拵える。

第2回9月17日(土)13時~17時

【講義】前田年昭「歴史の事実を証明するものは何か 前島密、柳田國男、キットラー」

歴史の事実を証すものは記憶か記録か。記録とは何か。当事者による文字史料は史実の根拠たりうるのか。歴史は物語だという考えは、多様な解釈があるのみという不可知論に帰着してしまうのではないか。目の前のできごとについてすら他者とそう容易に分かりあえないのに、過去の史実について分かりあうことは可能なのか。前島密、柳田國男、キットラーを結んで、人と人との交通の痕跡としての口承が一次史料として再発見されるべきこと、および歴史叙述とは、現在への認識を改めることによる過去の再構成である―との仮説を提出する。

【実習】平出隆「葉書で哲学を贈る」

 ※第3回 1月 詳細追って発表

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