繙 蟠 録 II 2011年2月
- 2011/02/02 電子書籍の和文組版における勘違いを糾す
電子書籍における和文組版の現状を憂い,勘違いを指摘しておきたい。これには今のところという側面とそもそもという側面がある。今のところという側面については批判しない(いずれ改善されるであろうからである)。しかし,そもそもという側面についてはどうしても一言しておきたい。
結論を先取りして言えば,電子書籍に対するJIS X 4051の機械的あてはめは阿呆である。JIS X 4051 日本語文書の組版方法は「ここで規定する組版方法は,主に書籍に適用」とし,日本語組版処理の要件 W3C 技術ノートは「対象を主に書籍」とした上で「雑誌,マニュアル,Web上のドキュメント等…は,書籍とは異なる…これらにおける問題点は,次の課題」と指摘している(!)。すなわち,紙の,30-40字詰の,書籍本文“での方法”なのである。
電子書籍の実装に携わる人びとはこの文脈を理解し得てないのではないか。ちょうど常用漢字表を「(付)字体についての解説」への理解を欠いたまま“字体を強制されている現状”を憤慨してみせる奴隷たちの言とよく似ている。そもそも電子書籍(とくにリフロー型)は,文字サイズも行長(字詰)も受信側(読者)によって可変なのである。電子書籍の実装例としてルビ,さらに割注などが提示される(自慢げに!)がいかがなものか。DTPになって文字サイズがとても小さくなり,私が校正したあるチラシにつく4級相当の文字は紙の上でオフ印刷だからこそ読めているのである。
本文ベタ組の基本も実現できぬまま,行頭行末禁則やら多重約物処理やら見せられても臍が茶をわかす思いである。電子書籍はJIS X 4051の機械的あてはめでなく,その骨格のみ取り出すべきではないか。具体的には,弱い禁則(句点およびぶら下げ可能な終わり括弧類以外の禁則は解除)であり,ルビの別方法での実現(例えば肩に★を付け,タップ時にルビがポップするとか)である。紙の本をなぞったまま,ページめくりアニメや本棚風操作画面などを工夫しても所詮,紙の二番煎じにすぎない。読書は骨格としての本文であり組版品質である。電子書籍には電子書籍ゆえにできることを!(M)
【関連】組版とは本来,動的なものである,同 追記
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