new!! 前田年昭「高校全共闘運動の半世紀を記念する 高校闘争から半世紀シンポジウムに参加された皆さんへのアピール」[PDF, 990KB]〔2020年2月11日,東京・連合会館〕 | |
前田年昭「この戦争はけっして終わっていない 『高校紛争』の出版を祝う会における挨拶」[HTML, 5KB]〔2012年7月28日,東京・小石川後楽園・涵徳亭〕 | |
前田年昭「打算や社交に囚われることのない青少年から生まれる力 世代を超えて読者の魂にふれる類書なき労作 書評・小林哲夫著『高校紛争 1969-1970 「闘争」の歴史と証言』」[HTML, 7KB]〔『図書新聞』第3060号 2012年4月28日付掲載〕 | |
new!! 前田年昭「歴史をつくるのは誰か 下放、すなわちスタイルの根底的転換=文体革命を!」[PDF, 893KB]〔今福龍太・鵜飼哲 編『津波の後の第一講』岩波書店、2012年2月 所収〕 | |
前田年昭「学問の目的は,自然と社会と自分自身を主体的に変革するために必要な知識と力を得ることである」[XHTML,9KB]〔2011年6月1-2日,KDU組版講義 第1講〕 | |
前田年昭「学問論 私はなぜ四〇年前に母校を中途退学したのか」[XHTML,12KB]〔2011年10月1日, 灘高校土曜講座講義〕 | |
前田年昭「〈質の高い在野史学〉を ~私の原点~」〔→繙蟠録2009年8月20日付:web悍〕 | |
前田年昭「これまで語られなかった貴重な証言 “六〇年代時代経験”といっても何と多様な日常があることか! 書評・川上徹・大窪一志著『素描・1960年代』」[HTML, 6KB]〔『週刊読書人』第2690号 2007年6月1日付 掲載〕 | |
前田年昭「学生運動の「OB」とは何か」[HTML, 7KB]〔2007年4月、mixi日記〕 | |
前田年昭「「むちゃくちゃだ」と「すばらしいことだ」 日本文化大革命四十周年に際して」[HTML, 15KB]〔2006年7月、文化大革命40周年記念シンポジウム(2006.7.16、東京・専修大学)会場にて発表配布、一部追補〕 | |
前田年昭「大学への警察導入の現認報告書 ここに在るのは「公」教育などではない すが秀実・花咲政之輔編『ネオリベ化する公共圏』」[HTML, 7KB]〔週刊読書人 第2642号 2006年6月23日付掲載〕 | |
小倉虫太郎さん「大学の廃墟で 80年代の個人的経験」[HTML, 23KB]〔すが秀実・花咲政之輔編『ネオリベ化する公共圏 壊滅する大学・市民社会からの自律』2006年4月、明石書店 所収〕 | |
前田年昭「ネオリベラリズムはリベラリズムで批判できない 「『JUNKの進撃、市民の敗走-壊滅せる大学の廃墟から』早稲田大学ビラ撒き逮捕と法学部C君処分の意味を考え、告発する抗議集会」における会場からの発言」[HTML, 6KB]〔2006年4月23日、東京・新宿コズミックスポーツセンター〕 | |
絓(すが)秀実さん「フランス暴動,ホリエモン,早大キャンパス警官導入……。立場への決断を問わぬ「非決定」の陥穽に打開の道はあるか」[HTML, 13KB]〔『en-taxi』第13号 2006.3.27 扶桑社 掲載〕 | |
前田年昭「全共闘運動再検証の契機に 斬れば血の噴き出る熱い志,いまだ健在! 書評・島泰三著『安田講堂 1968-1969』」[HTML, 6KB]〔週刊読書人 第2621号 2006年1月20日付掲載〕 | |
前田年昭「死者は生者を捉え、妄想は遅れてきた全共闘を走らせた」[HTML, 25KB]〔『ユリイカ』2005年12月号掲載〕 * 関連資料:パンフ「無縁仏案内」1973年春彼岸、人民公益社 | |
府川充男さん「六〇年代の光輝を回想 六人の叛乱世代の闘士と一人の全盲の医師を相手に 書評・荒岱介編『破天荒な人々――叛乱世代の証言』」[HTML, 7KB]〔図書新聞 第2750号 2005年11月19日付掲載〕 | |
前田年昭「韓国の民主化闘争からの問いかけ 〔書評〕文富軾『失われた記憶を求めて 狂気の時代を考える』」[HTML, 5KB]〔2005年8月〕 | |
前田年昭「わたしを/がつくった雑誌(アンケート大会)」[HTML, 7KB]〔『ユリイカ』2005年8月号掲載〕 | |
丸川哲史さん「「下放」が東アジアにおいて意味したもの」[HTML, 16KB]〔すが秀実編『1968(思想読本11)』2005年1月、作品社 所収〕 | |
前田年昭「はみ出し者たちの時代 灘高闘争と中島らも」[HTML, 7KB]〔すが秀実編『1968(思想読本11)』2005年1月、作品社 所収〕 | |
→映画『レフト・アローン』公式サイト / →東大安田講堂攻防戦1969・1・18-19 / →七・七集会における華青闘代表の発言 / →今井澄さん「われらが全共闘運動に終幕なし」 | |
絓(すが)秀実さん「リベラル・デモクラシーの共犯――鶴見俊輔の場合」[HTML, 13KB]〔『en-taxi』第6号 2004.6.28 扶桑社 掲載〕 | |
「中島らもインタヴュー 憂鬱とお笑いの星の下に」(聞き手・構成=前田年昭)#1/2[HTML, 21KB] #2/2[HTML, 23KB]〔『ユリイカ』2004年5月号(特集・鬱……)青土社 所収〕
2004年7月26日7月26日8時16分。階段から転落し,脳挫傷,外傷性脳内血腫のため死去(享年52)。合掌! →中島らも公式ホームページ /「鮫肌文殊の絵日記」2004.07.27&28。訃報→大阪日刊 /スポニチ大阪 /朝日 /河北 /日刊 /京都 /デイリー /毎日 /スポニチ /産経。
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前田年昭「煙草戦争路地裏見聞録 二〇〇三年夏」[HTML, 27KB]〔『ユリイカ』2003年10月号(特集・煙草異論)青土社 所収〕 | |
新田滋さん「資本主義はなぜ強靱であったか。社会主義はなぜ無効になったか。」[HTML, 27KB]〔2002年6月、さらぎ徳二編著『革命ロシアの挫折と崩壊の根因を問う』所収〕 | |
府川充男さん「「六八年革命」を遶る断章」[HTML, 54KB]〔2002年6月、さらぎ徳二編著『革命ロシアの挫折と崩壊の根因を問う』所収〕 | |
前田年昭「技術が〈人間と労働〉にもたらしたものへの問いかけ~歴史のなかの知恵蔵裁判~」[HTML, 23KB]〔鈴木一誌+知恵蔵裁判を読む会 編『知恵蔵裁判全記録』2001年1月、太田出版 所収〕 | |
丸山礼二・中原哲也「団結の哲学をうちたてよう 続・「ひどいわ,ひどいわ」主義に反対する」[HTML, 17KB]〔下請労働者連絡会議『下請労働者』第3号 1976年11月 所収〕 | |
中原哲也「団結の哲学をうちたてよう 「ひどいわ、ひどいわ」主義に反対する」[HTML, 7KB]〔下請労働者連絡会議『下請労働者』創刊号 1976年9月/関西学院新聞総部『関西学院新聞』第617号 1978年6月27日付 掲載〕 | |
竹中労「風の街にて 寺島珠雄のこと」[HTML, 16KB]〔1978年2月、寺島珠雄『釜ヶ崎 旅の宿りの長いまち』1978年4月 プレイガイドジャーナル社 所収〕 | |
中原哲也「亡霊となりつづける労務者」[HTML, 15KB]〔向井孝・渡辺一衛編『まず、ぼくたち自身を問題にしよう 根づきの思想』1974年8月 太平出版社 所収〕 | |
new!! 青年中国研究者会議「論文集発刊のあいさつ」[HTML, 8KB]〔1972年11月18日,『中国民衆反乱の世界』1974年 汲古書院 所収〕 | |
「灘高全学闘争委員会結成大会基調報告」[HTML, 12KB]〔1970年6月24日〕 | |
斎藤龍鳳「白色テロへの血の債務」[HTML, 22KB]〔1967年7月、『武闘派宣言』1969年4月 三一書房 所収〕 |
【〔……〕いずれにしても、彼らの最大の錯誤は、『全共闘白書』をネタにして全共闘を語ろうとするところである。この本に並んだアンケートをたどっていっても、項目や選択肢を設定した編者が《政治》にも《人間》にも低い認識しか持ち合わせていない、という以外に読みようはないではないか。これはひとつの《作品》として読むべきなのだ。
『全共闘白書』の刊行は、全共闘が思想的罠をはりめぐらせた《危険な》課題であることを顕在化させた。結局はだれも全共闘を語っていない。ただ自分の思想的水準を吐露しているだけだ。結局のところ、全共闘に接近する途は、《現在》の各々の課題を探究することしかないのである。】
- ――「歪」署名「全共闘という罠」〔『噂の真相』94年12月号掲載「撃」、『「非国民」手帖』2004年4月 情報センター出版局に再録〕から引用