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この戦争はけっして終わっていない
『高校紛争 1969-1970「闘争」の歴史と証言』の出版を祝う会における挨拶(拡張版)
2012年7月28日
前 田 年 昭
フリーター
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- 出版を祝う会は川嶋康裕さんと私が著者の小林哲夫さんと企画し,大谷行雄,岡村俊明,千坂恭二,安田宏――の諸氏と共に呼びかけ,2012年7月28日に東京の小石川後楽園・涵徳亭で開かれた。当日は他の方々の挨拶がみな長めであったため,偏屈者の私は発言を短く切り上げたが,趣旨は同じである。
42年前の6月に3日間の全学ストライキで授業を全面停止させた灘高校の全共闘運動から連帯のあいさつを述べたいと思います。
かつてなら「450万高校生を代表して〜」などと語り始めたところだが,闘いを経て誰が誰をも代理も代弁もできないし,してはならないと総括し反省しているので,きょうは,闘いなかばで亡くなった二人の先輩の話をしたい。荒木健也先輩は大学へは行かず三里塚へ援農に通っていたが自死した。彼の死を『小説灘高校』として書いた文筆ゴロが,当時「ベ平連」で国際連帯を詐称していた小中陽太郎です。私は奴をぜったいに許さない。また,柴田曜介先輩はエンケン(遠藤賢司)とはっぴいえんどが好きな心優しい方だったが,大学へは行かずひとり暮らしで,亡くなって見つかったときにはタバコをくわえたままだったという。
70年2月には中村克己が日大で殺され,75年6月には釜ヶ崎の仲間・船本洲治が嘉手納基地で焼身自決――彼らの無念を思うとき,私はこの戦争はけっして終わっていないと思うのです。
小林さんの本に記録された高校生全共闘運動を指して,産経新聞は「狂気が高校を支配した時代の記録」と書評しました。評者・大野敏明氏は現在の高校と社会を支配しているのは正気だとでもいうのでしょうか。中国とちがって日本には佯狂(ニセ気狂い,つくり阿呆)の文化も歴史もありませんが,思想的に当時の志をまげることなく貫こうとするなら,状況と切り離された観念を左翼同人空間で伝統芸能として守るのではなく,また,たとえ佯狂と思われようと,また“エイリアン”と言われようと,「戦争は終わった」とするさまざまな終戦派同窓会にけっして与することなく生き抜くことだと私は確信しています。
ついほんの前まで国際主義と暴力を掲げていた元活動家たちが近年,非暴力やエコ,さらには憲法9条擁護を言い出していることこそ,私からみれば“狂気”以外のなにものでもありません。「オレも若いころは……」としたり顔して喋り散らす一部の学生全共闘とは違って,高校生全共闘には終戦もなければ懐古趣味もないということを,私自身の所信として述べておきたいと思います。
* 2012.8.5 / 2012.11.11 字句改訂 2013.1.1 リンク切れ修正
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(おわり)
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