わたしを/がつくった雑誌

アンケート大会



2005年8月

前 田 年 昭
編集者/句読点研究
『ユリイカ』2005年8月号掲載

1 あなたが読み手として,もっとも愛読した雑誌と,その理由をお聞かせください。 無類の雑誌好きを自認(分野を問わず創刊号は買う!)する私にとって,雑誌好きであることの理由を問われること自体小躍りするほど嬉しい。それは,惚れた相方から「私のどこが好き?」と聞かれるにも似ている。好きな理由を何とかいくつかの言葉にしても,気持ちのほうがまだまだ大きいのである。それほどに雑誌自体が好きだから。なぜか。逆説的だが,困ることがあまりに多いからかもしれぬ。買うか買わぬか逡巡させる。捨てるか保存するか悩ませる。迷った末に,保存すると決めた記事を切り抜き,表紙と目次,奥付を付け,簡易製本し……。すると,なぜかつまらない。記事が生きた時代と社会から切り離されてしまうからだろうか。
 しかし,雑誌一般ではないのだ,設問は。「読み手として,もっとも愛読した雑誌」を挙げようとすると迷ってしまった。はてさて,六〇年代末から七〇年代はじめにかけての青林堂刊『ガロ』は,中学生から高校生にかけての私の愛読誌のひとつ。とりわけ上野昂志さんの連載「目安箱」が毎月待ち遠しかった。選挙で投票したことで何がしかの努力をしているなどと思い込む“免罪符”を批判し,非処分教員が「標準語」が話せないことについて“担当が国語じゃないから支障がない”などという論理を根底から批判し,靖国神社の問題についても宗教と政治の一体化との理由ではなく国家が死者を独占することの意味から批判し……,ことごとく小気味よくかっこよかったからである。以後の私自身の観る目,感じる心はここからとても影響を受けた。
 後年,『ガロ』編集長であった長井勝一さんが九六年一月五日に亡くなったとき,上野さんは長井さんから注文されたことは「高校生にもわかるように」ということだけだったと回想し追悼号に書かれていたが,雑誌の編集長としてほんとにすごいと思う。当時は中学生,高校生として読者であった私をして,いま,愛読誌に挙げさせるのだから。
2 あなたが書き手または作り手として関わったうちで,もっとも印象ぶかい雑誌と,その理由をお聞かせください。 『現代史研究』。創刊号(一九七〇年五月)〜第七号(七一年十月)。ガリ版、一部タイプ謄写。編集発行は灘高現代史研究会。代表または編集人は私,発行人ははじめ本田康弘さん,のち神野志健二さん。当時の仲間はいま,どうしているだろうか。
『労務者渡世』。第一号(一九七四年十二月)〜第十二号(七五年十一月)。ガリ版、タイプオフ。編集発行は同誌編集委員会。私は代表(筆名・中原哲也),ただし十二号までで離れた(同誌は以後もしばらく継続)。後に編集委員会のひとり寺島珠雄さんが,『労務者渡世 釜ヶ崎通信』風媒社刊を編んだ(七八年八月)が,九九年七月二十二日に肝臓および食道癌で死去(享年七十三)。再会を果たせなかったのが悔しい。『文藝春秋』二〇〇一年八月号(特集・達人が選んだ「もう一度読みたい」一冊)で佐野眞一さんが「労務者渡世」を選んで「井原西鶴精神の健在ぶりを遺憾なく発揮」と評してくれたのは嬉しかった。
『日本語の文字と組版を考える会会報』。第一号(一九九六年十二月)〜第十二号(九八年十二月)。DTP、オフ。編集発行は同会。編集人は柴田忠男さん,発行人は杏橋達磨さんと私。「バブルの崩壊と急激な業態の変化のなかで,文字と組版に関わる仕事が急速に賃労働化しつつあったなかで,それは本づくりをはじめ自然権としての表現し創る権利をとりもどす叫びであり,自分自身のなかに人間をとりもどす“お祭り”であった」との私の総括を記したのは二年後だった。
3 あなたが構想または夢想する雑誌と,その理由をお聞かせください。 『歴史学研究』(ただし七〇年代はじめまで,青木書店刊)と『世界革命運動情報』(レボルト社刊)とを足して二で割ったような雑誌ができないか。世界の文化運動,社会運動の状況のナマの情報を主とし,生きた論争を載せてくれるもの。左翼は大概,反論や批判と並ぶことを嫌がり,セクト主義に傾くが,これは読み物としても下の下。論争が生きて面白いという実感が奪われて久しいが,そういう時代が確かにあったはずだ。
(おわり)


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