府川充男は一九五一年生れで,私の住む国分寺市の隣り国立市にある桐朋高校に進み,卒業後の浪人時,六九年から七〇年にかけて立川高校,国立高校等の活動家をもまとめ三多摩の高校生運動を制圧していた。その動員数は一橋大学全共闘の根こそぎ動員の五倍以上,三鷹以西だけで百数十に及ぶ勢いであった。七〇年春に府川は早大に進学して赤ヘル無党派部隊を組織する。
彼との出逢いは,『情況』誌に私の「革命に生きる」を連載するために編集部の古賀暹,横山茂彦,府川の三氏と国分寺で食事を共にした時であった。その後,私宅が放火で全焼し,本も資料も完全に灰となり,入院し呆然としている時,東大・川上浩の遺した本をはじめマルクス主義や経済学,革命運動史関係の文献が府川から次々と送られてきた。これらの本が無かったら今の私は無い。
府川は印刷史,文字論,組版技法関係の著書・共著書を数冊出している。(さらぎ徳二)
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