“工業に立ち向かう文化”という幻想


「JIS批判」翼賛体制は
 如何にして成立したのか?


1998年4月

前 田 年 昭
日本語の文字と組版を考える会世話人

 私の生業(なりわい)は組版である。電算写植やDTPでお客さまの注文どおりの印刷物を世に送りだすために文字を組版した印刷版下を制作し,その労働の対価としてもらったお金で生活しているのである。いろんなお客さまが名刺から単行本,字典までいろんな印刷物を注文しにくる。
 ある日のこと。仕事は,ある労働組合の手帳で後ろに小さな文字で組む資料篇がつくものだった(余談だが,この種の団体や組合の手帳に載る「日本国憲法」は文字サイズが小さいことではサラ金やローンの契約書と共通した特徴がある。なぜだろうか)。電算写植では7級(一辺1.75ミリ)が最小文字サイズである。手帳の巻末資料の字はたいていはさらに小さい。これは,いったん12級前後で印字した印画紙を50パーセント以下に縮小フィルム撮りし,オフセット印刷する方法によることが多い。資料篇で憲法や教育基本法に続けて組合規約や労働協約を組む。本文中の組合役員の名前が○○溢男で,その溢のつくりの上の部分がソでもハでもなくムだというのだ。写植文字盤の三級,四級まで眺めてもそんな文字は存在しない。手書きゆえの癖字か,私の知らぬ異体字か,念のために音を示す「益」の字も併せて手元の「干禄字書」(*1),『常用書体字典』(*2)にあたったが載っていない。さらに『誤字俗字・正字一覧表』(*3)というさまざまな手書き字形を網羅したものまで調べたが「誤字」「俗字」としてすら載っていない。ソになっている「溢A」とハになっている「溢B」は同じ字で包摂の範囲だ(図は省略)。包摂というのは,複数の字体を区別せずに,抽象して“同じ字”と認められる字体の範囲に存在するということである。例えばアラビア数字の4は上が開いた“4”でも上が閉じた“4”でも4であり,ラテンアルファベットのaは筆記体のような“a”でも上に屋根のついた“a”でもaである。
 上がムになった「溢C」は存在しない。仕事は直請けではなく中に別の業者が入っているので問い合わせると,「本人がそう言ってるからそのとおりに」という。何と身勝手なと腹立ちをぐっと飲み込んで,結局,印画紙を切り貼りして「溢C」を作字して納品したが,どうも後味が悪い。いくら受注産業で,しかも下請けで,お金をいただくための我慢といっても限度がある。当人はこの形で「発信」したとしても,届いた郵便などが「溢A」や「溢B」という字形であっても受け入れているはずで,ということは発信側しか使わないロゴやサインのごときものなのである。それはそれで自由ではあるが,たとえば会社のロゴを名刺に入れて欲しいという場合は,版下を持って来ていただいてスキャナーで取り込むか,ロゴ作成のための上積み費用をいただいてこちらでトレースするか,そのどちらであっても割増料金をいただく。見出しではなく,ほとんどの人が読むはずのない手帳の資料本文で人名のロゴを字形区別することを求められても困る。発注者の組合は学校の先生たちの労働組合である。元か前か現か,いずれにしても教職についているのだろうか,教育者としてこのような「私的」ロゴマークを文字(漢字)として子どもたちに教えているのだろうか,いささか心配になってしまう。
 「人の名前は本人が違うといったら文字は絶対違う」という意見もあり,別の文字コードを用意しなければいけないのだろうか,いやはや悩ましい(いや,ほんとは腹立たしい)。しかし,文字は伝達のためにあり,文字コードは情報交換用符号ではなかったのか。
 現代イタリア文学きっての鬼才,奇才であるトンマーゾ・ランドルフィ(1908-79)の作品に「騒ぎ立てる言葉たち」(1963年)という短編がある(*4)。ある朝,歯を磨いて口をすすいだときに,口から飛び出した単語たちが意味の再配分をめぐって騒然と議論するという話である。やがて収拾がつかなくなった言葉たちの争いは,「私」が言葉たち全員をいったん壜詰めにしてから,「もらった意味が気に入ろうが気に入るまいが,それで我慢するんだ」と言い付け,順番に意味をもたせて釈放することによってようやく一件落着となる,というあらすじである。
 ここでは,コードは伝達のためのものという枠を超え,創造,しかも意識的な取り替えが試みられていて,それはそれでお遊びなのだが,読者を楽しませてくれている。正確に伝わったかどうかという側面でのみ文字のコードをみていると抜け落ちてしまう側面があるということであり,詩や小説など,文学ではむしろ後にみるように創造という側面が生命なのではないか。

言葉のコードは伝達と創造の「対立物の統一」  「誤解のない」コミュニケーションには共通確認されたコードが前提となる。つまり,発信者と受信者との間に雑音の入り込まない経路がつながっていて,そのうえでコミュニケーションを媒介するコードが発信者と受信者との間で同一,共通で,双方ともコードを理解し,習得していて,このコードに忠実にメッセージの作成と解読が行われるというわけだ。しかしこれはことばの伝達という側面だけしか説明していない。
 私が籍を置いている会社は組版といっても日本語だけでなく漢語や朝鮮語,さらにそれらの混植組版もやっていて,関連して翻訳も業務内容の一部となっている。先日も,日本語の「いとこ」を漢語ではどう訳すかということになって,父方か母方か,男か女か,年上か年下か,と翻訳者から問い返されてたまげたことがあった。2×2×2=8とおり,それぞれ違う単語があてられていて,日本語の「いとこ」にあたる単語はないという。私はつい,心の傷をほじくり返されたようで,めげてしまった。子どものころ伯母さんに出す手紙に叔母さんと書いて叱られ,以来親族の名称という話題は避けてきたのだった。
 ヴァイスゲルバーは,キルヒホフをひきつつ,親族名称を表現する概念と単語は,言語が異なれば異なり,父,父の兄弟,父の姉妹,母,母の兄弟,母の姉妹が別の語というタイプA,父,母は別だが,父の兄弟と母の兄弟は一語,母の姉妹と父の姉妹で一語というタイプB,父と父の兄弟と母の兄弟が一語,母と母の姉妹と父の姉妹が一語というタイプC,父と父の兄弟が一語だが母の兄弟は別語,母と母の姉妹が一語で,父の姉妹は別語というタイプD,――の4つの基本タイプを挙げ,母語が異なれば精神的世界像も異なることを指摘している(*5)
 完璧な翻訳とは何か。太宰治の小説を英語に翻訳したときに,登場する紳士が履いている「白足袋」を「white glove(白手袋)」と訳した翻訳を名訳という話はしばしば取り上げられる。異なる文化,異なる価値観の体系のなかで,意味するところの近い単語をうまく選んだからというわけだ。しかし,「この英語の翻訳を読んだ,英語を話す共同体のメンバーは,自分たちの解釈系によって,日本語の文化のなかで起こっている,そして太宰が描いている現象を理解することになる。しかしながら,では,日本の文化,そのなかでの日本的現象としての『白足袋』の意味や価値は,この『翻訳』で伝わるであろうか」と村上陽一郎は問題を投げかけた(*6)
 言語の相違は音形や記号の相違ではなく,世界観自身の相違である,とヴィルヘルム・フォン・フンボルトはいう。この立場から考えた場合,言語の相違を悪とする「常識」に囚われたままだと,「バベルの搭」の話は,驕った人類への罰としての多様な言語への分裂としか捉えられないが,しかし問い直してみる必要もあるのではないか。フンボルトを援用しつつ,レオ・ヴァイスゲルバーはこう書いている。
 「言語の相違は人間の言語の才を利用し尽くし,種々な見方をして人類を言語による目標に導く多数の鍵である。言語がたった一つの場合はその独善性は避けがたいが,色々の言語があれば見方も色々で豊富になり,また元来一面的にすぎない認識を唯一可能なものと過大評価することも避けられる」(*5)
 日本のロシア語名通訳として知られる米原万里はいう。「異なる言語間のコード転換ともなると,一対一の対応ではとうていとらえきれない。言語は,その担い手である民俗の……文化とか,歴史とか,風習などを背景にした独特の世界観や思考法とかを内包しているものだ」(*7)
 言葉の交換は,ズレなく伝達するだけでなく,意識的にズレを造りだす場合もある。詩の場合を考えてみればわかる。また,新語がどのように生まれるかを考えてみるとわかる。
 言葉のコードは,伝達と創造という対立物の統一であり,その時代,その母語の共同体の「常識」という世界像と共に生きて変化し続けているものである。

JIS漢字40年の歴史検証が明らかにした林大らの偉業  近年,ワープロやパソコンは急速に普及し,かな漢字変換の発明とあいまって,JIS漢字コードは広く利用されるようになっている。計算機環境で漢字を扱うためには,漢字を重複なく網羅して番号を付ける必要がある。ということで1978年,JIS漢字コードは多方面の機関や企業の協力のなかで日本工業規格として生まれたものである。漢学者林古渓を父にして1913年生まれの,戦後の国語政策で中心的な役割を果たした林大(はやし・おおき)が中心的な役割を果たし,膨大な資料を検討の末,制定された。JIS漢字規格にかかわっている現在の符号化文字集合調査研究委員会(JCS)は昨1997年の第4次規格制定にあたって,改めて初版(1978年)制定に関する膨大な資料を再構成し,初版制定の意図と精確さを改めて明らかにした。その内容は第4次規格に詳しいが,世上誤解されているようにJIS漢字は頻度で選ばれたのでもなく,まして効率優先で選ばれたのでもない。現代日本で実際に使っている文字をすべて収録しようとしたのである。
 30年以上前,まだコンピュータで漢字そのものが使えなかった時代に手作業で,日本の地名漢字のすべてを,かつ重複なく集める労苦は並み大抵のものではなかったにちがいない。1969年の情報処理学会規格委員会漢字コード委員会以来の前史を含めれば40年になるJIS漢字の歴史については芝野耕司のまとめがある(*8)
 このJIS漢字に漢和字典にない漢字が入っているとの非難もあるが,これについては,『JIS漢字字典』序文の反論が痛快である。「(諸橋)『大漢和辞典』にも(角川)『新字源』にも見えない約百字のうち,哘囎圸垈垉垳垰埖塰墹壗寉屶岼峅岾嵜嵶幤恷挧掵暃昿杁枩枦档椥椨椪椣椡槝樮橸檪汢珱畩畴疂硴穃笂筺筝篏粐粭粫糘絋緕膤舮莵萢蘓袮袰貮軅轌逧鈬鍄鈩陦鮴鰛鵈は,いずれも地名,小・中学校名,人名のいずれかに用いられる漢字である。『JIS漢字には漢字字書にもない文字がある』は,『JIS漢字』批判の一環として語られることが多いが,この字典の読者には,むしろ二十年前に『JIS漢字』の初版を作成された先人の業績を称揚する言と捉えられるはずである。……二十年前,何かの字典の文字を全部入れればよいなどという安直な姿勢で『JIS漢字』が作られていたなら,『JIS漢字』では我が子の通う小学校名すら書けないという体たらくになっていたはずなのである。現今でも,こうした『ある字典の文字を全部』という安易な文字コード論を散見するが,寒心に堪えない」(*9)
 現在の高みから過去を見降ろして歴史を評論する輩にはわかるまい。人類史は永遠の過去から永遠の未来への無限の時間のなかで,否定の否定,止揚を積み重ねることで前進しつづけているのである。JIS漢字の第一次規格にももちろん誤り(バグ)もあっただろう。しかし先人たちの業績以上の仕事を当時,他にだれがなしえたというのか。ならば,その仕事を引き継ぎ,不十分や誤りについては,託された自分たち自身に対する宿題として引き受ければよいではないか。この立場から符号化文字集合調査研究委員会(JCS)はJIS漢字規格の1997年第4次改訂を進めるとともに,一昨年夏に計画を発表した新JIS開発をすすめている。JIS第3水準,第4水準として,現行JISでは「現代日本語の表記のために必要でありながら足りない文字」を約5000字拡張するというものだ。選定作業は今秋,公開レビューが行われる予定だそうだ。



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