| 連載:滴水洞 019
意志としての造反(むほん)再論
2006年10月08日12:41
前 田 年 昭
編集者
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滴水洞017で私は【「階級闘争」の生命力をふりかえって考えなおそう,とするなら「階級」とは何かを考えること以上に,「闘争」とは何か,むほんとは何か,造反とは何か,に検討の比重を少しばかりずらすのがよい】と述べたが,いま読んでいる『フーコー・コレクション 5』(ちくま学芸文庫2006年9月)で,わが意を得たりという記述に出会った(「世界認識の方法 マルクス主義をどう始末するか(吉本隆明との対談)」同書pp.64-115)。
ミシェル・フーコーは【人間のさまざまな行動と意志との関係を語るにあたって西欧は,いままで二つの方法しか持ってはいませんでした。つまり方法においても,概念においても,あの伝統的な自然‐力という形か,それから法‐善悪という形でしか問題が提起されていなかったわけですが,奇妙なことに,意志を思考するにあたって,人はこれまで軍事的な戦略にその方法を借りることはなかったのです。私としては,いわゆる意志の問題を闘争といいますか,あるいはさまざまな抗争関係が展開されてゆく場合の,その葛藤を分析する戦略的観点といった形で提起され得るのではないかと考えています。】p.82という立場から次のように述べている。
【…マルクスが確かにそう口にしていながら,今日ではほとんど死語としてしか通用していない言葉があります。それは,階級闘争という言葉であるわけですが,おそらく,いま申しあげたような視点に立った場合,この言葉を改めて考えなおすことが可能となりはしまいか。たとえば,歴史の原動力は階級闘争にあると確かにマルクスはいっているし,また,その後,多くの人がその言葉を繰り返しています。なるほどそれは間違いのない事実であり,そこで社会学者たちが,いったい階級とは何か,いかなる人がその階級に属するかといった議論をあきるほど蒸し返してもいます。しかしこれまで,誰ひとりとして,闘争とは何かを検討したり究明したりした者はなかったのです。階級闘争というときのその闘争とはいったい何か。闘争というからには,それは抗争であり戦争であるわけですが,その戦いはどんな具合に展開され,何を目標として,何を手段として演じられるのか。いかなる合理的資格にもとづいての戦いなのか。私が,マルクスを起点として論じたいことがらは,階級の社会学といった問題ではなく,闘争をめぐる戦略的方法にあるのです。それが,マルクスに対して示す私の関心であり,そこから問題を提起してみたいと思っている点なのです。
で,闘争は,私のまわりのいたるところにさまざまな運動として生起し,展開されています。たとえば成田の問題,それから吉本さんが一九六〇年に日米安全保障条約をめぐって,国会前の広場で行なわれた闘争,フランスにも闘争があるし,イタリーにも闘争がある。そうした闘争は,それが戦いである限りにおいて,私の思考の視野に入ってきます。たとえば共産党は,この闘争という問題を考える場合に,闘争それ自体ではなく,一体あなたは,どのような階級に属しているのか,あなたは,プロレタリア階級を代表しつつ,この闘争を行なっているのかといった問いしか発しようとしておらず,闘争とは何かという,その戦略的側面のほうは,一向に問題になってこない。私にとっての関心は,むしろ抗争関係そのものの事件性です。一体だれが,何と,どのような手段で闘争に入っているのか,またなぜ闘争があり,その闘争は何を基盤としているかという点にあります。】pp84-85
フーコーがここで吉本さんと話している意志の問題とはとりもなおさず毛沢東思想の核心のひとつである自覚的能動性の問題である。
「あるがままの階級」として革命勢力に入れようがない,貧農や任侠(文字を奪われ,生涯結婚できず,葬式も出してもらえない流れ者)を,三大規律八項注意の歌で「なる階級」へと階級形成していった――それが毛沢東の中国革命であった。事実で証明されているとおり,この人民解放軍の規律と道徳的権威の力は文革の内ゲバを解決する大きな力になった。
これと対照的に,日本の新旧左翼が規定する革命勢力は文字が読めるだけでなく,『共産党宣言』『賃労働と資本』をはじめとする初級から順を追って学習するさまざまな文献を読んでいる者という規定である。事実が証明するとおり,この日本の左翼はほとんど死滅した。
革命運動において理論が持つ決定的意義をみとめるからこそ,その理論はどのようにして物質の力となるのか,その道すじがなければ理論は“絵に描いた餅”に終わる。反ナショナリズムを主張しながらも民権がそのまま国権に転じていくという,日本の反権力運動の歴史(明治維新以降,死屍累々。反ナショナリズムをいいながら「東北アジア共同の家」などという国権の主張と同衾させて恥じることのないカンサンジュン(姜尚中)しかり!)を止揚しなければならない。
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| (おわり)
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