| 連載:滴水洞 017
続々・むほんの権原はどこにあるのか
2006年10月01日18:37
前 田 年 昭
編集者
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「紅五類」とは,労働者出身者,貧農・下層中農出身者,革命幹部出身者,革命軍人出身者,革命烈士出身者――のことである。これが血統主義といわれた理由は,この規定が親子兄弟など血縁で影響し,本人の進学や就職をも左右したからである。
1966年8月,譚立夫と劉京は「親が英雄なら子供は好人物,親が反動なら子供は大馬鹿者,基本はかくのごとし」との大字報を貼りだし,全国的な論争を引き起こした。
革命幹部,革命軍人,革命烈士遺族はいわば論功行賞的規定である。《むほんの権原》として主張するとすれば,革命活動家の血縁者だから革命をやる権原があるという同義反復に陥る可能性がある。制度的に何らかの物質的恩恵が得られるとしたら,それは新たな特権階級を生む基盤となりかねない。実際に,に党が変質し,社会が変色してしまった現在の中国の「太子党」が事実をもって証明しているとおりである。
労働者,貧農・下層中農は階級規定ではあるが,親が革命の側だからといって子が革命の側とは限らない。生まれながらの革命家など存在し得ないからである。
「紅五類」規定は,日常的に非「紅五類」の人びとに対する一種の差別用語として用いられ,それだけではなく,トウ〔木へんに當〕案材料とよばれる身分調書に載せられ,公安組織に保管され,冒頭述べたように本人の進学や就職をも左右したわけである。
また,中国の知識を得ても日本の現実を変革する力に結びつけ得ない莫迦には,見当もつかぬことかもしれないが,日本の左翼運動のなかでも「紅五類」ならぬ「差別され抑圧された人びと」という規定が猛威をふるい,この苦しみはお前らにはわかるまい,という脅し(逆差別)として用いられたことは記憶に新しい。まさに,血統主義は,日本と中国の文化大革命が共通して克服しなければならい問題であった/である。
「階級闘争,一部の階級が勝利し,一部の階級が消滅する。これが歴史であり,これが数千年にわたる文明史である」との毛主席の指摘は,やはり正しい。歴史的事実として,いまも証明されつづけているとおりだからである。しかしながら,これまで論じられてきた多くは,「階級」についてであったのではないか。いわく,革命の指導階級は誰か,階級とは何か,プロレタリアートとは何か,といったあんばいである。左翼の凋落著しい最近では,マルチチュードとか,プレカリアートとか,言い換えてみているが虚しい試みである(もちろん,不正規労働者などという役所用語を使って「正規」があるべき姿とする思潮を支えるよりは,そうした試みは試してみるに値するとは思う)。
なぜなら,革命(むほん)をやる階級は,あるがままの社会集団ではありえず,目的意識を導きに〈なる〉集団でしかありえないからである。
「階級闘争」の生命力をふりかえって考えなおそう,とするなら「階級」とは何かを考えること以上に,「闘争」とは何か,むほんとは何か,造反とは何か,に検討の比重を少しばかりずらすのがよい,と私は考えている。
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