連載:滴水洞 008

暴力論4 忘れえぬ私の「小さな出来事」



2006年08月18日14:15

前 田 年 昭

編集者

吉越弘泰『威風と頽唐 中国文化大革命の政治言語』太田出版2005,に書かれていたことに目が留まった。

吉越は,湖南省無聯の楊曦光の獄中での体験を彼の『牛鬼蛇神録』牛津大学出版社1994,を引いて紹介している。

【……楊曦光が獄中で同房だった「向土匪」と呼ばれる一人のすりから聞いた話があった。文革前,公安局員から酷い目に遭わされた仲間のすりの一人が,文革の中で復讐のために「長沙青年」という造反組織に加わり,湖南文革が造反派有利になったとき,拘束したその公安局員を痛めつけ,片方の眼を潰してしまったというのである。
 「向土匪の話は私を驚かせ不安にさせた。というのは私は保守派と造反派の間の政治的衝突は政治理念の衝突が引き起こしたものとずっと思ってきたからである。私は他の者たちよりは政治的衝突の背後にある社会矛盾に注意をはらってきたにもかかわらず,向土匪の小グループにとって,この種の根深い階級的怨恨と相互の迫害はいかなるイデオロギーも必要とせず,それは相互の赤裸々な迫害と報復そのものとなることに思い至ることができなかった」。】同書p.350

革命党入城の知らせをきいただけで挙人旦那が縮みあがったときいた阿Qが「革命も悪くないな」と考える,という『阿Q正伝』を想起させる。

【……かれは,革命党とは謀反であり,謀反は自分にとって不都合だ,という意見を,どこで仕入れたかわからぬが抱いていて,これまでも「深刻に憎悪」してきた。その革命党が意外にも,百里四方にその名も高い挙人旦那を縮みあがらせたとあっては,かれとて「恍惚」の気分になる。未荘の有象無象のあわてふためきは,ますますかれを愉快にさせる。】竹内好訳『魯迅文集』第一巻p.134

造反暴力は支配層を恐怖させるだけではない。村を恐怖させる。全共闘もそうであり,文化大革命もそうであった。暴力はその主張(言葉)も行使も,より強い暴力のほうが力を持つ。まして,造反の側の世論に道義性があり,勢いがあるときは,暴力を抑止し自制することは難しい。

かつて私自身,山谷釜ヶ崎の日雇労務者の運動のなかで,行政が飴玉として用意した収容施設の,備品を一部の労務者が「盗った」現場に居合わせたことを思い起こす。

日ごろ酷い目に遭わされているんだからそのぐらい(「取り戻す」こと)は当然の権利だといわんばかりの日雇労務者たちの勢いに直面して,私は沈黙し黙過した。ある活動家が必死に節度と規律,道徳を訴えていたにもかかわらず,その勇気ある彼に加勢することすらしなかった。恥ずかしく,苦い記憶であり,忘れられない。中国の革命運動が経験からうみだした「有理有利有節(=道理があって利益があって節度がある)」という合言葉を,知識として知ってはいても,何ひとつ現実の「力」として行使できなかったからである。

(おわり)


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