『悍』第3号 pp.232-241(抜粋)

ゲバジェネ与利ロスジェネ賛江
書評・鈴木英生著『新左翼とロスジェネ』
   雨宮処凜著『ロスジェネはこう生きてきた』

ふとら のぶゆき

 ロスジェネは何を失ったのか

 略

 左翼はロスジェネを救えるのか

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 「生きづらさ」のマグマ

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 「生きづらさ」の行方

 不況とはいえ世界的に見れば犯罪が少なく,街中に物が溢れ,飢え死にする人はほとんどなく,世界でもっとも「豊かな」国の一つである日本の国民の中で,もっとも生気に満ちているはずの二十~三十代の世代が「生きづらさ」を感じているのはなぜだろう。

 たしかに「フリーター」「ひきこもり」「ニート」「派遣」という生活実態を表す言葉からは「生きる楽しさ」のイメージは湧かない。こうした言葉をからは「貧困」「不安」「孤立」というイメージが派生する。人生設計どころか今日の生活すらままならないなかで「希望を持て」というのは不遜なことである。

 今回の総選挙では多くの政党がマニフェストで「生活」という言葉を掲げた。民主党「国民の生活が第一」,社民党「生活再建」,みんなの党「生活重視」など,「心強い」スローガンが並んだが,「子育て支援」や「老人医療」などへの言及に比べて,プレカリアートへの生活支援が聞えてこない。製造業への派遣禁止は直ちに実施すべきである。

 自殺者の増加は「生きづらさ」拡大の指標といってよいであろう。今年上半期の自殺者数が公表された。警察庁によると,二〇〇九年上半期の自殺者数は一万七〇七六人で,二〇〇八年の同時期と比べて七六八人増えた。このペースでゆくとこれまで最悪だった二〇〇三年の年間自殺者数を超える勢いだという。二〇〇八年のWHOの統計では日本は一〇万人当たりの自殺者数で,世界第八位であり,「先進」諸国の中ではトップである。

 また,年齢別に見ると,五〇~五九歳が最も多く,次いで六〇~六九歳である。もっとも自殺の原因・動機としては健康問題が約半数を占めているので,高齢者と若年層の自殺を単純に比較してはならないが,しかしどの世代もそれぞれに「生きづらさ」を感じ,それぞれに不幸なのである。

 現在,プレカリアートに最も接近しているのは宗教団体ではなかろうか。「宗教は阿片である」と言われる(ちなみにこれはノヴァーリスの言葉であり,初出はマルクスではない)。

 戦後多くの新興宗教が勃興したが,それは大衆の「貧・病・争」の悩みを吸収していったからだ。今,プレカリアートたちの「貧・鬱・孤」の悩みのスキに宗教団体がつけ入ろうとしている。

 雨宮が見沢知廉(この人も右翼→左翼→右翼→自殺という激しい振幅を辿った人だが)に連れられて新右翼に入会したときに「崇高な使命」を感じたという。宗教団体もまたこうした使命感を抱く仕掛けを用意している。教団に帰属し,慕われ,共に行動し,自身を承認されることは,それまでの「生きづらさ」を麻痺させてくれる。しかし,こうした「救い」は「生きづらさ」の病根を切除するわけではない。雨宮はついにこの病根が新自由主義(ネオリベ)であることを発見したのだが。

 四年前に小泉を支持した人が,今,鳩山を支持するという有権者の身軽さ,節操の無さはどうだろう。付和雷同の誹りを免れない。これはファシズム期の大衆の動きに似ている。「「生きづらさ」を一挙に解決する道はこれだ」と大風呂敷で煽動する「魅力的な」政治家が登場すればどうだろうか。日本人はもうファシスト菌に感染している。

 新左翼の遺産とは

 今回取り上げた書物の二人の著者は,ともに「新左翼」への共感を述べている。鈴木英生の著作は,新左翼に共感した理由の解明をテーマにしているといってもよい。雨宮処凛は見沢知廉に見せられたビデオについて「成田闘争の映像は鳥肌モノだった」「ヘルメットをかぶった学生たちやデモ隊の姿に,たまらない羨ましさを感じていた」という。

 鈴木は「消滅」した新左翼の遺産として絓秀実の「現在では,誰も「新左翼」と自称しないが,「新左翼的な」文化は,すでに常識的な心性と化している。エコロジカルに省エネを推奨するCMやセクハラへの嫌悪などなど,それは日常的な細部にまで浸透している」(『1968年』)を引用している。

 卑近な例だが,私の次女が通った都立三鷹高校では一九六九年当時「全共闘」が結成され,生徒たちは学校との団交で「制服廃止」を勝ち取ったのだという。私服通学は現在も続いている。

 この三鷹高校の校長だった土肥信雄は,東京都教育委員会の「職員会議での挙手・採決の禁止」の命令に逆らい,校長再任を拒否され,現在裁判闘争中である。土肥は東大在学中に全共闘運動の影響を強く受けた人である。

 全共闘や新左翼の「遺産」は枯渇も消滅もしてはいない。

 暴力の経済学

 私は本誌創刊号で一九六八年当時の自分の意識と行動について回顧した。「ものごとは話し合いで解決すべき」と思っていた私がなぜ新左翼の暴力を伴った「実力闘争」を支持し参加するようになったかの経緯については詳しく述べていない。おそらく,この転換=思想転向を促したのは,「暴力の経済学」だった。

 ベトナムで巨大な暴力が行使されているのに,現下の日本に米軍基地が存在し,自民党政府も自衛隊も軍需産業も,この戦争に加担しているという現実に,言葉だけで「反対」と叫ぶだけでいいのか,巨大な暴力に対して抵抗する小さな暴力の結集と行使は正義である,と確信したからだと思う。

 新左翼のスローガンの語尾はたいてい「阻止!」「粉砕!」であった。といってもそれが実現したことはほとんどなく,結果としては「激しい抗議」だけに終わっていたのだが,暴力の量的均衡を目指したことは確かである。

 私たちは「実力闘争」とは言っていたが,「武装闘争」とは言わなかった。敵を意図的に殺戮する闘争は考えてもいなかった。何よりも人命を軽々に奪っている現実への抗議だったのだから。

 最初に「武装闘争」を言い出したのは赤軍派である。私は大学で討論会をやっていたときに憲法学のH教授が言ったことが忘れられない。この教授はもともと陸軍中尉だった人で,戦後は軍人として戦争を推進したことへの反省から護憲派の憲法学者になった人だった。そのころ,赤軍派が大菩薩峠で軍事訓練をしていて夜半に機動隊に寝込みを急襲され,一網打尽になるという事件があった。職業軍人であった教授は「軍隊が寝込みを襲われるとは何というザマですか。歩哨も立てていなかったんですよ」と赤軍派を詰なじったのである。「赤軍」を名乗っていても現実は「軍隊ごっこ」のようなものだったのであり,私は教授に返す言葉もなかった。いくつかの党派が「建軍路線」を標榜したが,結局それは「内ゲバ」実行部隊のことであった

 私は後年,ミュージカルの『レ・ミゼラブル』を観た。革命軍の兵士がパリの路上のバリケードで闘う場面。銃撃戦の末,みんな死んでしまうのだが,私たちが神田カルチェ・ラタンと称してやっていたバリケード戦は,二百年も昔の戦闘のレベルにも達していないのだと知らされて,情けなくなった。

 「暴力の経済学」は誰もが日常的に実践している。テレビ番組『24』のジャック・バウアーは頻繁に拷問する。このとき私たちは拷問の加害とテロリストの攻撃で受けるであろう被害との「貸借」を直感的に比較している。

 世話になった親分が殺され,高倉健が「ここはあっしにまかせておくんなさい」とたった一人で敵の組に斬り込んでいくとき,池袋・文芸座で映画を観ていた私は「異議ナーシ!」と叫んだものだが,この報復行為に暴力の「等価性」を認めたのである。

 私が実力闘争を是認するときの「巨悪の暴力(損失)に抗するには,正義の暴力(収益)を結集するしかない」という「暴力の経済学」もあくまで主観的なものである。すべての戦争,革命,侵略,植民地支配での暴力行使を正当化する論理としてこの「経済学」のレトリックが用いられる。大東亜戦争も,イラク戦争も,新左翼党派の内ゲバも,ビンタから核兵器まで,すべての暴力には彼我の損益計算が働いている。厄介なのはこの勘定科目の中に「愛」「自由」「平和」「正義」「神の意志」「八紘一宇」などが含まれることで,こうした項目が多いと「残虐性」「衝動性」が増すのである。暴力は冷厳な決算をもって終結するのであるが,双方にもたらされる憎悪,悲嘆,苦痛,悪夢,絶望などの負債は決算項目に含められないことが多く,この余剰が次の暴力を準備することになる。

 暴力は物理的破壊だけではない。言葉の暴力,差別,性的暴力,不法残業,解雇,薬害……。いずれも生命を脅かす威力を備えている。ロスジェネ諸君の被っている「生きづらさ」は実は暴力によるものなのである。胸ぐらを捕まえられて職場から追い出されることと,「おまえはクビだ」と言われるのは等価である。こうした暴力においても失われた均衡を回復する「経済学」が必要となる。抗議,糾弾,デモ,宣伝,訴訟や陳情による政治力の活用など,ありとあらゆる力を連結し,資産としなければならない。

 歴史は平和主義者ではない。「目には目を」のハンムラビ法典から今日まで,暴力は「帳尻」を求め続けている。

 なんと間違ったことをしたのだろう!

 略

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