歴史をかきかえるということはどういうことか


竹内好没後三〇年・日中戦争七〇年に際して

書評・竹内好著,丸川哲史・鈴木将久編『竹内好セレクション I・II』




2007年4月

前 田 年 昭
編集者・アジア主義研究

『東方』第314号(2007年4月,東方書店)掲載

 今年は竹内好(一九一〇−一九七七)の没後三〇年にあたる。

 終生,日本と中国,アジアとの架け橋をめざして行動しつづけた中国文学者・評論家,竹内好が亡くなったのは一九七七年三月三日であった。「訳稿はほぼ完成」していた『魯迅文集』全六巻の完結を目前にした死であった。『評論集』全三巻(六六年),および中国の会として一〇年間出した雑誌『中国』一一一冊(六三−七二年)は,『魯迅文集』や没後刊行の『竹内好全集』全一七巻(八二年,筑摩書房)とともに日中の思想史,近代史,中国文学を研究する際の基本的文献となった。

 今回の『セレクション』刊行の動機については,ふたりの編者が「はじめに」で端的に記している。丸川哲史氏は「中国での「反日」デモに際し,日本の中国研究者が何ら有効な現代中国論を提示し得なかった事態」を危機ととらえ,細分化・集積化された中国研究では克服できないような「何か」が,竹内の中にはあるのではないか」とし,鈴木将久氏は「否応なくアジアと向き合うことが求められる時代となったとき,そうした思想実践を行った数少ない思想家の一人として竹内好が浮上してくる」と述べている。近年の竹内好再評価の機運は,日本が中国や朝鮮,アジアとの関係を問われているという時代認識,外的条件に加えて,中国人研究者・孫歌氏による竹内の「再発見」(『竹内好という問い』二〇〇五年,岩波書店)が最大のきっかけとしてあることは間違いないだろう。

 刊行された全二巻(とくに「II」)の選択は素晴らしい。「 I 日本への/からのまなざし」には,巻頭の「屈辱の事件」はじめ「近代の超克」や「近代主義と民族の問題」など二二篇が収められている。「II アジアへの/からのまなざし」には,序として,近代とは何かについてのみならず生きた思想とは何かをつかむことができる「方法としてのアジア」をはじめ計一四篇が採られている。開戦直後の北京滞在の記録「二年間」から朝鮮への問題意識を示唆した「おもかげの消えぬ人」までの配列は竹内好が時代と共にどのように思想形成をなしたかの歩みでもある。代表作「日本のアジア主義」も『評伝 毛沢東』(無からの創造,ほか抄録)とともに収められている。I ・IIをつうじて『評論集』との対比でいえば,第一巻(現代中国論)からの一篇に対して,第三巻(日本とアジア)からが五篇と圧倒していることに編者の問題意識のありようが感じられる。第二巻(日本イデオロギイ)からの四篇はいっけん多いように見えるが国民文学論争関係に偏しており,市井の雑多な,庶民の哀歓からの思想をつみあげた竹内好の真骨頂を示す知識人批判や日本共産党批判からのより多くの採録を私なら希望するが,全二巻という制約ゆえこれはないものねだりかもしれない。見事に蘇った竹内好を読むと,かくも文章を生かすことができるのかと編集の力を再認識させられる。先に引いたような編者の実践的問題意識が貫かれたゆえのことであろう。

 竹内好が心血を注いだ〈歴史を書きかえる〉作業とは狭い意味での史実探求でもなければ,時事問題への介入でもなかった。過去の集積としての現在に対する認識の転換であった。「方法としてのアジア」とは,中国,アジアを鏡にした日本批判であり,日本人の歴史認識,日本社会のドレイ精神に対する批判なのである。竹内好の仕事は,「否応なくアジアと向き合うことが求められる時代」にかぎらず思想の原点として存在していることを忘れてはならないと私は思う。

 竹内好没後三〇年の今年はまた日中戦争七〇年でもある。一九三七年七月の盧溝橋「事件」は日中全面戦争の開始であった。私たち日本人がかつて「同文同種」をとなえ,「大東亜共栄」をかかげながら,実際になしたことは,中国,アジアの人びとを殺しつくし,奪いつくし,焼きつくすことだった。しかし日中戦争はまだ終わっていない。七二年の日中共同声明における,日本の侵略戦争「謝罪」は,「転向文化」の日本にとってはミソギをすませケジメをつけたつもりかもしれぬが,「回心文化」の中国にとっては始まりにすぎない。竹内好が当時,歯ぎしりしながら指摘したとおりである。人道の立場からすれば,謝罪は事実の究明と公開,原状回復と賠償と一体でなければ虚偽である(この点は,中国人や朝鮮人の強制連行にしても,北朝鮮による「拉致」問題にしても同様である)。

 いずれにしても竹内好が再評価されることはとても嬉しい。喜ばしいことである。他方,一抹の不安がよぎる。なぜか。死んでしまった竹内はもう語らないし,なにびとであれ代理代弁はできない。竹内の再発見は神話化を拒否することでなければ虚偽である。しかし,竹内好再評価の流れのなかには明らかにニセモノが,つまり竹内がもっとも嫌った,選良意識からの,教科書としての“読解”が紛れ込んではいないだろうか――私の不安と心配はここにある。
「子供はオトナよりオトナ的だ。官僚は官僚の身分において悪であるよりも,民衆を官僚化することによって最大の悪である。そして民衆は,民衆であるために官僚化される。……指導者意識は,どうしても価値を擬制することになり,したがって現実が二重になる。」「日本資本主義の指導者たちは,日本のおくれた資本主義を,世界の水準へ近づけようと努力した。……かれらの努力は,ともかく成功した。そして成功が,日本文化の構造と,日本人の心的傾向を決定した。一高−帝大−高文という教育コオスと,それに伴う日本的な立身出世の教育精神が,どこまでも縦に貫いている。……これが指導者意識の発生する地盤だと思う。そして解放運動までが……型どおりにゆがめられるといってもいい。そのいい例は,明治の自由民権運動と大正の左翼運動だ。自由民権は大陸侵略の手先に変形してしまったし,大正から昭和にかけての左翼運動はいわゆる新官僚となって,今度の戦争を強力に推進した。」「明治維新は,革命として成功したことにおいて失敗した。辛亥革命が,革命として失敗したことにおいて革命の原動力を失わなかったのとは,反対である。」「指導者意識の根は民衆にある。指導=被指導以外に人間関係がないのだ。自分が一高−帝大へゆくか,そうでなければ一高−帝大に劣勢意識をもつかで,第三の道がない。ドレイか,そうでなければドレイの主人かだ。」
 引用が長くなったが,これは竹内好が一九四八年一〇月に書いた「指導者意識について」という文章である(セレクションで唯一残念なことは,この文章が収録されなかったことである)。

 竹内好を再評価するというなら,残されたテキストを教科書として読むのではなく,歴史と社会に向かう立場と姿勢において学ぶことが必要だと私は思う。

 再評価の機運に乗っかって,竹内好の論考を都合よく引いて辛亥革命の意義を強調し始めた老大家もいるが,これなど竹内の思想の簒奪でありハゲタカにも劣る。竹内好の著作は我田引水しようとすればたやすい。文脈から切り離せば,いっけん相反することをあちこちで言っているからである。「大東亜戦争」の二重性を指摘し,明治維新革命や自由民権運動の二重性を強調した竹内の史観は,革命か反革命か,進歩か反動かという二分法にはなじまない。竹内は革命が反革命に転化し,反革命が革命に転化する,歴史の価値転倒と弁証法を説いた。中国を「発展」でなく「停滞」と見,「自由」でなく「専制」と決めつける近代発展史観に最後まで抵抗をつらぬいた。そうして,歴史を書きかえるということ,すなわち,現在のなかに生きる過去を再検討し,格闘し続けたのではなかったか。

 火中に栗をひろうことを主張した竹内はアジア主義の再検討をつうじてウルトラナショナリズムのなかに可能性を見出せないか,と問題提起した。つねに,もっとも困難な問いのなかにこそ,もっとも焦眉で基本的な,歴史を書きかえるカギがあるとして,ラジカル(根源的)に問いつづけた。自らを変革の主体とするだけでなく,自身を変革の対象としつづけて逃げなかった。ところが竹内を引きながらも近年の中国研究者,思想史研究者,歴史研究者はもっとも困難な問題から目をそむけ続けている。なぜか。

 明治維新の永久革命のシンボルであるにもかかわらず反動反革命として切り捨てられた西郷隆盛や,ヒロヒトの無条件降伏という名の「国体護持」条件降伏に最後まで抗して対米英戦争を貫こうとして脳病院に強制入院させられた厚木航空隊の小薗安名について,研究者は避けてとおっていないか。そんなことで,日本の民衆革命の伝統を見出すことができるのか。私は反動を進歩として復権したいのではない。竹内が試みたように民衆の“熱狂”に歴史の逆説を考えたいのだ。

 民衆的なものは民族的である。竹内もアジア主義や明治維新にふれて繰り返し指摘したとおりである。逆,つまり民族的なものが民衆的とは限らないことは,民族的なものをずっと右翼と国家に奪われ続けた日本近代の歴史が証明している。しかし,民衆的なものが民族的なものと離れたところで成立したことがないのもまた歴史的事実ではないか。民族的なものを避け,イデオロギーとしての左翼的と冠された社会運動のみに光をあてる見方は,歴史の後知恵にすぎない。革命のさなかにあっては,それは右や左の観念で裁断することはできないものであるはずだ。

 また,中国研究者は中国の一大内戦でもあったプロレタリア文化大革命については口をつぐんでいる。一方で文革を語ることは困難だと逃避しつつ,にもかかわらず,“火中の栗”をひろい続けた竹内の思想の継承を語る中国研究とは何なのか。民権から国権へ「堕落」した日本アジア主義を止揚し,欧米的「近代」に抗した実験こそ中国の文革ではなかったのか。研究の立場が問われている。

 いい本だが残念なこともある。日清戦争を日露戦争とし,故兆民先生追悼会を胡兆民先生追悼会とする誤字,「近代とは何か」での「敗北は,敗北という事実」の脱落など,誤脱は数十か所にのぼる。読者にはこのセレクションに従ってぜひとも図書館などで全集をひもといてほしい。

 なお,私がつくった正誤表を配布するので希望者は連絡をほしい。
* fax:03-5229-8047
  e-mail:tmaeda@linelabo.com


ウェブ公開しました(2007.03.31 補足訂正)。
→【私家版正誤表[PDF, 460KB]

※ 版元(日本経済評論社)からオフィシャルな正誤表が公開されました(2007.05.31)。
→初刷の誤植について「お詫びとお知らせ」(出版社公式サイト)
 http://www.nikkeihyo.co.jp
  /HPsinki/owabi.html
→初刷の正誤表(出版社公式サイト, PDFファイル)
 http://www.nikkeihyo.co.jp
  /HPsinki/takeuchi1.pdf
 http://www.nikkeihyo.co.jp
  /HPsinki/takeuchi2.pdf

竹内好著,丸川哲史・鈴木将久編
『竹内好セレクション 1 日本への/からのまなざし』
『 竹内好セレクション 2 アジアへの/からのまなざし』
四六判・380 / 416頁・各2100円
日本経済評論社
4-8188-1905-0 / 4-8188-1906-9
(おわり)


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前田年昭 MAEDA Toshiaki
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