“西郷隆盛という難題”に取り組んだ力作・西南戦争通史!


書評・小川原正道『西南戦争 西郷隆盛と日本最後の内戦』



2008年2月
前 田 年 昭
編集者・アジア主義研究

『週刊読書人』第2726号 2008年2月22日付掲載

 本書は「西郷隆盛と西南戦争」という副題が示すとおり,百三十年前(一八七七年)の,「近代日本最大,そして日本史上最後の内戦」である西南戦争の通史である。著者は「我々もまた,西南戦争の『戦後』に生きている」という立場から,反乱軍の指導者である西郷隆盛の動向を柱に,熊本城や田原坂の戦いをはじめ九州各地での戦闘を,巻末に挙げられただけでも二百近い史料に基づいてまとめあげた労作である。
 「西郷を反革命と見るか,永久革命のシンボルと見るかは,容易に片づかぬ議論のある問題」(竹内好)である。事実,天皇主義者からも民衆からも愛されつづけた西郷の歴史的評価は二転三転してきた。難問の最たるものがこの西南戦争の性格にあることは論をまたない。
 本書の意義は,あまたある西郷の伝記ではなく,戦史を丹念に追うことを通じて,この内乱の実態と背景を明らかにしようとしたところにある。熊本城籠城戦について「政府軍の出足が遅ければ,薩軍は長崎と小倉を押さえ,九州を制圧できたかもしれない。あるいは全軍を挙げて強襲を繰り返せば,城は落ちたかもしれない。後者は兵力の分散と鎮台の抵抗によって果たせず,前者は政府軍の迅速な動員によって挫折した」との指摘は興味深いが,ではなぜ反乱は敗れたのか?
 武装権という側面からみると歴史の逆説に気づかされる。すなわち専制政府軍が国民皆兵思想に裏打ちされ,対する反乱軍は大半が旧武士層であったというパラドックスである。
 著者は繰り返し「名分にこだわり続けた西郷が,名分なき蹶起に踏み切らざるを得なかったところに,悲劇がある」と指摘している。これは,勝ち目のない無謀な戦いでの犬死という見方に対しては一定の批判足りえているかもしれぬが,悲劇とすることには変わりなく,評者は同意できない。後の「大東亜」戦争における特攻隊員の死を悲劇とする草柳大蔵らの見方に通じるものを評者は感じてしまうからだ。
 開戦には理由があり,志があった。すでに毛利敏彦が『明治六年政変』で指摘し,橋川文三も引いているように,そもそも一八七三年の明治政府分裂は征韓論をめぐる対立ではなかったことが定説となっている。しかし,著者はこの論争を「という見解もある」として,西郷=征韓論者説を前提に,西郷の名分に対するこだわりを指摘するのみである。まことに残念である。
 明治維新がそうであったように,最初から“勝ち目のある”革命も戦争もなかった。明治維新を旧政権(徳川家)との融和という平和革命ではなく,旧政権の破壊と転覆という暴力革命に引っぱっていった指導者こそ西郷であった。それ故に維新の原点を忘れ反革命に堕した明治新政府に対する反政府,反権力のシンボルとして西郷が決起せざるを得なかったのである。
 アメリカに敗戦して以降,敗北したから無謀,などという小賢しい議論が世を制してしまった。だがしかし,本書でも紙幅をさいて記述されているとおり,民権論とルソー主義の宮崎八郎ら協同隊は,西郷らの薩軍にはせ参じ,共に戦ったのである。「西郷に拠らざれば政府を打倒するの道なく,まず西郷の力をかって政府を壊崩し,しかる上第二に西郷と主義の戦争をなすの外なし」との宮崎の言は,西郷こそが実践的に永久革命のシンボルだったことを明らかにしている。
 「もうここでよかろう」と傍らの別府晋介に介錯を促す西郷の最期の場面は感動的である。NHK大河ドラマが明治維新を“偉人史”だといいくるめようとしている今,民衆による「御一新」としての明治維新の真実を見つめなおすためにも,本書をすすめたい。

小川原正道
『西南戦争 西郷隆盛と日本最後の内戦』
新書判・258頁・861円
中央公論新社
978-4-12-101927-1
(おわり)


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