『悍』第3号 pp.6-7

人間によって馴致され使役される世界を越えて
下地秋緒の仕事に思う

池田浩士

 彗星のように,という言葉がある。忽然と出現し,鮮烈な光彩を放って,たちまち消えていく一つの星。――だが,下地秋緒の仕事をこの言葉で表わすとすれば,それほど不当なことはない。

 わずか三十二年の生涯は,もちろん長いものではなかった。スペインに生活と制作の場を見出してから丸七年にも満たない時間は,瞬時といってもよい短さである。このつかの間の年月に,しかしなんという充実が生み出されたことか。それらの年月は,この表現者の諸作品を時系列で見直してみればわかるように,明らかに深みと厚さとそして鋭さを加える方向で流れていたのである。

 たとえば,東京での作品展のチラシにもなった二〇〇四年の作品、「宇宙人との会話」。ここでは,青を基調とする色彩の鮮やかさが,黒く点在する文字と人影と,白というより空白によって,まさに異世界との共有空間の青色として生かされていることに,まず目を向けよう。二〇〇五年の作品「サーカスの帰り」では,その青が,白っぽい三日月を浮かべながら,下に広がる丘の緑とその上方の淡い中間色によって鮮やかさを抑えられ,非日常の体験から日常への帰路にふさわしい物悲しさを醸し出している。じつは,下地秋緒の驚くべき飛躍は,そのあとにあるのだ。二〇〇六年の「コラボレーション3」では,青が姿を消すばかりではない。「サーカスの帰り」になお生きていた具象性とともに,人間の日常のなかの非日常もまた駆逐される。代赭色を基調とするこの世界で「協働」する生き物たちは,もはやそんなものを歯牙にもかけないだろう。その翌年,この世での創作の最後の年となった二〇〇七年の「動き出す都市」は,人間に馴致され使役されてきた都市自身の蜂起そのものである。

 人間の自己批判がたどるこの深化の過程こそ,この作者の早すぎた晩年だった。下地秋緒は,彗星のように出現し彗星のように去っていくことなどできない。安直な「自然に帰れ!」とはまったく逆の方向をたどりつつ,地上での共生の道を芸術表現によって模索し続けたこの表現者は,生き残ったものたちによってその目標が達成されるときまで,「八番線ぐらいの太い針金で」代赭色の中空に吊るされつづけねばならないのだ。

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