『悍』第2号 pp.114-120(抜粋)

排除される者の表現
長居公園テント村から

太田直里

 「長居公園も一二月いっぱいかもしれん。いよいよ強制排除や」。二〇〇六年一二月初め,大阪の長居公園でテントを張り生活をする二人に呼び出され,厳しい現状の報告を受けた。その年の一月に,大阪のうつぼ公園,大阪城公園で行政代執行があってから一年もたってない。またか,しかも長居公園か。いつか来るとは思っていたものの早すぎる。〔……〕

 略

 芝居がもつ力があるとしたら,それは役者と観客によって,別の世界をつくることが出来るということだと思う。それは別の時間を流すことができる。私は行政の流す時間上での闘いを拒否し,自分達が流す時間により作られていく世界を強く打ち出したかった。行政の暴力にぶれない,私達の時間を私達の手によって流したかった。本気で抵抗するのならば,武器をとるべきだ。私達は芝居を選んだ。芝居は抵抗ではない。そういう意味で当日は抵抗でもなかったし,芝居としても成立してはいなかった。抵抗したい,芝居をやりきりたい,というそれぞれの想いが舞台にあらわになっていた。行政代執行という,権力に規定された,抵抗の意思と芝居が現れた。私には耐え難い時間だった。もちろん,そこにいた全ての人が行政代執行という耐え難い時間を過ごしていただろう。ただただされるがままにテントがつぶされていく中,それを平常心で見ながら芝居が出来るわけもなかっただろう。怒りやら悔しさやら悲しみやら,いろんな感情が舞台に立つ体を通して外に流れ出ていく。抵抗でも私の描いていた芝居でもないものが確かにそこにあった。いったいなんだったのか,それはそれぞれが意味づければいいことで,私には私達の手を離れ一人歩きした,誰のものでもない表現としか言いようがない。最後,場は混沌としていた。芝居を二度繰り返し,三度めに突入した後,テントがすべて壊され,最後に舞台が壊された。舞台を取り囲んで座っていた人達は一人ずつ引っ張り出され,舞台が壊されるのと同時にわっしょいわっしょいと掛け声がかかった。あーあ,結局わっしょいになるんだな,私は冷静に失望したのを覚えている。思い返せば,ある程度興奮状態にあったにせよ,私は冷め切っていた。役者が順番にちゃんと舞台にあがるかを見ていた。それだけだった。

 略

〔……〕あの時の私の敗北はあるべくしてあった。今となっては,敗北ですらない。何もしていなかったからだ。私はただ一人夢想し,それが崩壊したにすぎない。私の課題は,「私」から「私達」へ,「夢想」から「着実に構築」することへ移行させていくこと。

 私達は常に行政の手の中だ。その中で泳がされ,踊らされ,排除され,消される。テント村は消された。よくあることの一つとして。そして今日もまたどこかで何かが消される準備が着々と進められている。「消されるべくして消されるもの」「排除されるべくして排除されるもの」というレッテルを貼られて……。私達がいくら排除するなと言ったところで,狙われたら確実に排除され,いくらこの場所を守ろうとしたところで同じである。世知辛い世の中。

 しかし,私達は存在し続ける。私達は存在してきて,存在していて,存在し続ける。あの日のテレビのニュースのように,ただのトピックとして終わってはいない。そろそろ,自分達の存在は,自分達でうち出していかなければならないのではないだろうか? 「受動」から「能動」へ。泳がされるのではなく泳ぎ,踊らされるのではなく踊ろう! 消される前に消えるくらいの勢いを持って! レッテル,おもしろいんじゃないですか? 「排除される者」。自らラベルとして貼りかえ,ほこりをもって「排除される者」の文化,生活,どこまでもユニークである私達の世界を提示していこう。悲しみや痛みでなく,喜びと力を持って。日常のユーモアを持って。

 あれから二年,私達は,長居公園でもう一度芝居をやろうとしている。「排除される者」の表現はまだ始まったばかりだ。もう一度,そして何度でも表現し続けるだろう。揺るぎない力となるまで。

 『それでもつながりはつづく 長居公園テント村行政代執行の記録』,この本のタイトルにもあるように,私達のつながりはつづく。

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