編集後記(第1号)――――
全共闘運動についてはすでに各誌紙が四〇周年ということで特集を組んでいる。その後塵を拝して本誌創刊号が特集する意味はどこにあるかと自問しながらの編集作業であった。四〇年も経てば,研究と論議の対象となるべき歴史的な事件である。“全共闘世代”は自らの体験をいたずらに特権化して若い世代を脅したり説教したりする前に,記録を整理し,公開すべきだろう。“元活動家”の肩書きによる「共同声明」など,「オレも昔は~」という自慢話と同様,選良意識の告白であり,腐臭を放つ▼“元活動家”たちは,よく,「~がわからないんだヨ」という。わからなければ訊けばよい,調べればよい,考えればよい。わからないと煙幕を張り,頭を低めて相手に頭突きを食らわすやり方は,倨傲であり,思考停止,知的退廃である。かつて“活動家”たちがやたら「展開してみろよ」と威張りあっていた癖がまだ残っている▼全共闘による学問の“タコツボ化”批判は,やがてアカデミズムに簒奪され,「学際的」という言葉がはやることとなった。しかしその実態は,○○学の世界に対しては△△学という特殊を,逆に△△学の世界に対しては○○学という特殊をひけらかすカメレオンをはびこらせただけである。学際的という看板は狭い自分の「専門」に閉じこもるための隠れ蓑であり,コミュニケーション学という看板は批判に耳を貸さない夜郎自大の言い訳なのか。「専門家」たちはますます安定し,他方,“自分の城”など持たない者どもはますます不安定と諦めを強いられ続けている▼六八年は雑誌の時代,何よりも熱い論争の時代であった。論争を創り出そうではないか。今号では自己否定論から文化大革命まで,異なる立場と文章を並べることができた。読者諸兄姉の積極的な批判を待つ▼弁証法とは対話であり論争である。ポスト六八年に各分野でもてはやされた「言語論的転回」とは結局,歴史は物語の数だけあるという,論争回避でしかなかったかのではないか。しかし,歴史の発見とは,何よりも現在に対する立場と観点の変革に結びつく論争なしにはありえない。全共闘運動は,アカデミズムと在野,舞台と客席,広場と通路などの区分をなくしたところに新しい学問や生き方を見出そうとしたのだ▼六八年にかかわった政治党派やその幹部に「総括」を聞く必要はないのかもしれない。なぜなら,「総括」は何を言ったかではなく,いまどう生きているかのなかにあるからだ。大学進学を人生の唯一の希望とみなすことをやめて多様な生き方を選ぶ中高生たちが少なからず生まれたこと,これこそ全共闘運動が残した大きな社会的遺産のひとつだ▼私たちが目にしている現在のあれこれはさまざまな過去の集積であり結果である。全共闘運動という事件の偶然のなかに一九六〇年代末という歴史の必然が貫かれており,それは今も生き続けている。次号特集予定は「芸術と国家」。(M)