技術が〈人間と労働〉にもたらしたものへの問いかけ


〜歴史のなかの知恵蔵裁判〜




2000年11月

前 田 年 昭
知恵蔵裁判を読む会

『知恵蔵裁判全記録』(2001年1月、太田出版)所収

1「公共の利益」という転倒はどこからきたのか なぜすべての言辞がさかだちさせられるのか。フォーマット・デザインを盗んだ当の被告側がフォーマット・デザインの公共性や文化の発展を臆面もなく主張する書証の数々を読むたびに,私はいらだちをおさえられない。
「情報伝達の媒体たるフォーム自体に著作権を認めてしまうと,情報の発信・伝達が阻害され,多様な表現を花開かせ文化の発展に寄与するという著作権法の目的に反することになる」――これは,被告・朝日新聞社が米国著作権法判例上の「ブランク・フォーム」ルールを「我が著作権法においても等しく妥当するもの」として引いてなした主張である[本書117ページ]。
「本件レイアウト・フォーマット用紙を著作物として著作権法により保護することは,結局のところ,本件レイアウト・フォーマットと密接不可分の紙面構成についてのアイデアを特定の者に長期間独占させるものであり,著作権法が予定する表現の保護を超える結果となる。」――これは,東京地方裁判所民事第二九部が,先の朝日新聞社側の主張をうけて下した判決文である[本書171ページ]。
モノを〈こしらえる〉権利を認めることが「多様な表現」や「文化の発展」に反するというのははたしてほんとうなのか。権利保護と文化発展との関係が,あたかも一日のうちの昼の時間と夜の時間との関係のように一方を増大させれば他方が減少するような相反する関係だというのは,正しいのか。
こうした主張は,原告側の一部の「随伴者」たちのあいだにも浸透した。鈴木一誌が朝日新聞社に対して自分の権利を認めるよう訴えた主張と,鈴木一誌が作成し提案したページネーション・マニュアル[★1]が複製と共有を積極的に主張していることへの疑問や質問が存在したからである。自分のものだと主張することと公開の主張とは両立するのか,と。しかし,そもそも両立するかどうかとの設問自体,互いに相反するものだとの理解を暗黙の前提にしている。
トロン・プロジェクトのリーダーである坂村健は「ビジネスモデル特許の行き過ぎがかえって公共の利益を阻害する」と題した文章〔文藝春秋編『日本の論点二〇〇一』2000年11月,文藝春秋刊所収〕を「[…]知的所有権は,保護を強めても,関連の産業が発達し,公共の利益になるわけではない。技術は使われなければ意味がない。世界中で誰もが自由に情報をやりとりできるインターネットの時代が特許により押さえられ,にらみあいのまま使われないという愚だけは避けたいものだ」と強い調子でむすんでいる。
知恵蔵裁判の「非当事者」坂村健がなぜここに出てくるのかの説明は後にして,ここでは被告・朝日新聞社の主張と坂村の主張が類似していることに注意を喚起しておきたい。さらにここには流行のグローバリズムの大合唱のもとでの「技術」や「インターネット」「自由」「規制緩和」というキーワードが散りばめられていることを指摘しておく。

2 コンピュータ技術はいかに労働を変えたのか 知恵蔵裁判もまた地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災などの歴史上の事件と同じ歴史的事件であり,時代と社会の産物である。歴史とは現在からの,過去の絶えざる建て直しであり,歴史の書き換えとは現在に対する立場と観点の変化にほかならない。私は,叙述が先か事実が先かという形而上学的な立論ではなく,その往復運動こそが歴史なのだという立場に立つ。観察者もまた歴史を創造する一員であり,その主体を透明にした「客観性」や「中立性」は主体のほんとうの意図を覆い隠す詭弁にすぎない。知恵蔵裁判という事件の偶然のなかに1990年代という歴史の必然がつらぬかれているのではないかと私は考えている。
フォーマット・デザインは,組版,製版の労働がコンピュータ・プログラムによって置き換えられ自動化され,結果,熟練した職人の労働が統合され解体されていく時代のなかで生まれた。戸田ツトムは,フォーマットとは「一見無人格に感じられる印刷技術の様々な制御や規範の中からいくつかの技術的根拠を選択しあえて特徴的・非習慣的に構築し直すことによる組み版設計仕様」[本書242ページ]だと指摘している。
オフセット印刷の登場は,400年以上ものあいだつづいてきた活版印刷という物理的複製を映像的な複製へと変えた。活字の手ざわりと重さは消失し,インキのにおいは現像液のにおいになった。労働の肉体的な負担は軽減され,視覚が触覚より大きな比重をもつように変わった。変化は,組版と印刷がコンピュータ処理と結びつくことによって劇的に加速された。手書きラフデザイン,カッターとピンセットによる版下のフィニッシュ作業,暗室でのカメラワークなどが次々と消えた。カンやコツという個々人の身体にしみこんだ技能は,コンピュータ・プログラムに移し替えられ,普通のオフィス環境のなかで印刷物の「はんこ」をこしらえることができるようになった。
組版とは,ひと連なりの文字を並べ,行に折りたたみ,ページにおさめる労働である。その核心は文脈として生きている行の連続を制御し,改行をはじめ切断位置を発見し確定する作業である。コンピュータ処理との出会い以前は,ノウハウは身体を動かすことをつうじて〈わかる〉ようになり,熟練者の経験として伝えられてきた。そこには「封建的」な人間関係もあったかもしれないが,職人は腕にしみこんだ技能の熟練の力で尊敬もされた。
「何が作られるかということではなく,いかにして・いかなる手段をもって・作られるかということが,経済的諸時代を区別する。労働手段は,人間の労働力の発展の測度器であるばかりでなく,そのうちで労働が行なわれる社会的諸関係の指示器でもある」(カール・マルクス『資本論』第1部第5章第1節,188ページ[★2]
機械化,コンピュータ・プログラム化は,手仕事におけるカンやコツとして身体に蓄積された経験を身体からひきはがし,系統的に一定の連なりをもった技術として言葉にして取り出すことによってなされた。その草創期,労働の流れを言語化する苦闘は杉山隆男『メディアの興亡』(文藝春秋,1986年)では「「WHY」の集中砲火」として描かれている。なぜそうするのか,ワークフローを人間のカンからひきはがし,コンピュータの言葉に移し替えていく過程を『メディアの興亡』から引いてみる。
「「日本の新聞は一ページ完全主義です。スペースが足りなくなったからといって,記事の続きを他のページにまわすようなことは決してやりません。必ず同じページの中に収めるようにします」と言うと,エンジニアたちからはいっせいに質問や反論がわきおこった。「なぜ次のページに続けちゃいけないのですか,続けると何か困ったことでもあるのですか」[…]これには高妻もまいってしまった。「WHY」と正面から切りこまれても,相手を納得させられるだけの理由があるわけでもない。答えようにも答えようがないのである。[…][IBMの技術者は]日本の新聞づくりが原則よりその場その場の判断を優先させていると思えてならなかった。何かにつけ「なりゆき」というあいまいな理由で片づけてしまうケースが多いのである。しかし,コンピュータはロジックの生き物だ。そのコンピュータの力を借りようとするからには,それぞれがバラバラのように見えるものであっても,その中に何か法則性のようなものを見出して,互いをつなぐ筋道をひくことが必要なのだった」
組版プログラムは素人にも一定の水準の仕事を可能にした。本づくりの素人への解放のはじまりであることは確かだった。反面,〈わかる〉ことが手仕事と一体であっただけに,手仕事の消失は〈わかる〉ことを奪ったのではなかったか。DTPの浸透とともに指弾されるようになった組版の「乱れ」は,ソフトウェアの性能の乏しさに起因するというより使う人間の〈わかる〉力の不足に起因していたのではなかったか。
かつて活版印刷所において採字という労働はプロフェッショナルの仕事だった。写植が登場して,文選ぶんせんや植字ちょくじ,大組みという言葉はそれぞれの職人とともに消えた。写植でも手動写植機のころはガチャンコガチャンコとプロフェッショナルとして採字という労働をなし,「一寸の巾,なべぶたしんにゅうははこがまえ,刀ヌク人,雁かりは山さと,大小の女子,口言い心に手,弓と片戈かたほこ,四目糸草よつめいとくさ,虫の羽竹の里,辛車臼門しんしゃきゅうもん,犬の足馬の骨,七曜」と字形によって配置された五一の基本ブロックから文字を拾った。正確さと速さの習得には熟練を要し,現場には早撃ち名人がいた。まだプロフェッショナルの仕事だったのである。
しかし,組版がコンピュータ処理と出会って以降,とくにかな漢字変換が発明されると文字入力は素人に解放された。電算写植をへてDTPへの転換のなかで文字入力は補助労働となっていった。競争のなかで,団地の主婦の内職となり,単価はあっという間に法定最低賃金以下に下がった。コンピュータ・プログラムはそれまで別々の職人にになわれていたデザイン・組版・製版をひとつに統合したが,入口の労働として文字入力のにない手を代替可能な層へ,外注下請化してしまったのである(1997,98年ごろを頂点に文字コード問題が噴き出した背景には,日本語入力が機械化され素人に解放され,同時にプロフェッショナルの仕事でなくなったことが存在するのではないか。「だれにでもできて当然というワープロで自分の名前が入力できない」との消費者のいらだちとヒステリーという一面は否定できない)。
前段の文字入力が消え,組版の労働は「流し込み」から始められるようになった。現像液のにおいも消えた。文字をひろうときに意識にあった,何級の漢字か,仮名,約物か,欧字かという階層への意識は後景にしりぞき,結果,いわば組むこと,行をつくることに貼り付いていた〈わかる〉ことがなくなっていった。組版業者が自分で入力するためのプロフェッショナル用の「一寸の巾」入力法は技能養成にかかる時間と費用がみあわないからと捨て去られた。入力だけ外に出したほうがはるかに安いからである。
組版(流し込み)の労働自体も,人間の教育に時間と費用をかけるよりも,いっそうだれでもが操作できる安価な組版ソフトを開発することによって,パート・アルバイトで代替可能な労働にしていく方向をたどった。これは資本の必然だった。子持ち罫囲みの四隅の直角をきめようが(活版),一ミリの間隔にカラス口で何本も線を引こうが(写植),そういうワザは屁とも思われなくなってしまった。
「科学は資本家にとって全く『何も』要費しないが,このことは決して,資本家が科学を利用することを妨げない。『他人の』科学が他人の労働と同じように資本に合体される。」(『資本論』第1部第13章第2節,405ページ)
かくして,コンピュータ・プログラムによって統合され自動化された組版労働の,入口と出口には,代替可能で単調な反復労働,交替制と長時間労働が大量に発生し,増大していった。厖大な補助労働が,機械化の入口と出口に発生することは,かつてマルクスが紡績労働について『資本論』で分析したとおりである。技術が身体から解放されたことは一面では,自分でつくりだした道具によって人間の力が強くなったことであり,外化された技術をだれでもが享受できる可能性を準備した。しかしその過程は他方では,みずからにとって外化されたものの疎外という側面とメダルの裏表だった。技術の進歩は外化をともない疎外を必然的にはらむ。破綻しない規範的組版ルールが何の役に立たないのと同様に,あらゆる実践は技術的であり疎外は必然ともいえるのだ。したがって,技術はたえざる批判を必要とする。
「技術学は,自然にたいする人間の能動的態度を,彼の生活の・したがって彼の社会的生活諸関係およびそれからわきだす精神的諸表象の・直接的生産過程を,あらわにする」(『資本論』第1部第13章第1節,389ページ)
印刷労働の現場から小説『太陽のない街』で描かれたような3Kの悲惨さがなくなったからといって,新たな疎外を容認するわけにはいかないだろう。たしかにDTPは本づくりの工程のうちプリプレスの分野において個人への解放の技術的基盤を提供した。所有すること自体によって仕事がとれた高価な文字盤や組版専用機は,いまや安価なフォントと組版ソフトウェアとして個人でも入手が容易になった。さらにフィルムを経ないで版を直接出力するCTP(コンピュータ・トゥ・プレート)の実用化によって,生産の道具として完成した。しかし,手仕事が消え,手ざわりのある労働対象が消えたことは,〈こしらえる〉こと,つまり労働の意味が消えていくことでもあった。自分のやりとげた仕事への充足感にかわって,(人間が,ではなく)人間を使う組版プログラムへの不満が噴き出すようになった。えんえんと日がな一日,洋数字を選択し正立させる労働は人間を高め,充足感をあたえるだろうか(DTPの普及につれて,パート・アルバイトの求人誌でDTPオペレーターが「クリエイター」という分類になったのはいつごろからだったろうか)。

3 労働の質への視点を欠く技術信仰を批判する 労働が〈自分のものになる〉とはどういうことなのだろうか。はたしていま〈自分のもの〉になっているのだろうか。資本主義は私有財産制だというが,資本主義に反抗する社会運動がしばしば自分の仕事と生活を守れ,自分の土地をかえせ,という叫びとしてひきおこされるのはなぜだろうか。〈自分のもの〉とは何か。めしを食い,働くことは人間社会の土台である。その労働が〈自分のもの〉であるとはどういうことか。
私自身の十数年前の経験をおもいおこす。1980年代の後半,キューハチと呼ばれたNECのパーソナル・コンピュータが一世を風靡し,プログラムのソースの載った雑誌がさかんに読まれたころのこと。当時,パソコン通信ではプログラムの送受信はずいぶんとめんどうで,バイナリー・データはいったんテキスト化して送らねばならず,受信側はそれをまたバイナリーに戻さなければならなかった。現在のインターネットの便利さとは大違いである。そんな制約のなかでもマニアたちは,PDS(パブリック・ドメイン・ソフトウェア)という「再配布や変更,使用の自由」「無料」のソフトウェアに夢中になった。作者はカッコよくてマニアの憧れの対象だったし,作者になりそこねた者もバグレポートを積極的に作者に送ったりした。しかしやがて,流通しているPDSをあたかも昆虫採集のように収集し,売りさばく業者が登場するにおよんで,PDSは無断商業利用をめぐる相次ぐトラブルにまきこまれ,マニアの熱は冷や水をあびせられたかっこうで,PDSの名称もつかわれなくなった(やがて,著作権は保持したまま利用と配布を認めるフリーウェアという呼び名にかわったが,かつての熱気がもどったわけではなかった)。
しかし,利害や打算がからまなければ,教えることも教わることも楽しいものである。アメリカでは,フリーソフトウェア財団(FSF)によるGNUプロジェクトが基本ソフトウェアはフリーであるべきと主張し,実践している。私自身もかつてのVzエディターの活気と生命力にユーザーとしてふれていたので,写研のサプコルをシミュレーションする組版ソフト「みえ吉」のユーザーによる,みえ吉友の会フリーソフト・ライブラリィを企画し,組織した。『印刷タイムス』1993年3月23日付は「手作りソフト公開し相互利用,ユーザー間のネットワーク化一層進む」と題して「ユーザー自身の仕事の中から生み出された手作りのソフトが多数公開され,ユーザー間での共有と活用への気運が盛り上がった。」と伝えた。そう,やはり楽しかった。
「労働はさしあたり,人間と自然とのあいだの一過程,すなわち,それにおいて人間が,人間と自然との質料変換を自分じしんの行為によって媒介し・規制し・統制する一過程である。[…]彼は,この運動により自分の外部の自然に働きかけてこれを変化させることによって,同時に自分じしんの自然を変化させる。彼は,自分じしんの自然のうちに眠っている諸力能ポテンツエンを発展させ,その諸力の働きを自分じしんの統制のもとにおく」(『資本論』第1部第5章第1節,185ページ)
〈労働〉というものは人間にとっていったい何なのだろうか。人間は自分の能力を労働という行為によって,対象のなかに移しかえる。その過程でこれはおれの仕事だという実感をもち,モノができあがれば一杯のビールもうまい。この過程は同時に,人間が他者とチームを組み自分の能力を獲得していく過程でもある。この二つは一つであり,労働によってこしらえられたモノが自分のものであることは,人間が互いの社会的なつながりのなかで,対等で自由であることの基礎である。生産と労働において自由でなければ,交通において自由ではなく,生産と交通において自由でなければ,消費においても自由ではありえない。たとえば最近,柄谷行人らが消費組合を提唱しているが,生産と労働への視点を欠いてはいまいか、とおもう。
生産と労働における,わかりあう,自由な労働への歩みを示す人類の歴史は,著作権のゆくえをも示唆しているのではないか。すなわち再配布や変更,使用の自由は,財産権としての著作権の変貌と消滅への方向を示し,同時に「多数が共同して」ものをつくりあげていくときに,その言い出しっぺとしての作者の明記,人格権の尊重という方向を未来のものとして教えているのだとおもう。
「批判的な技術学史は,総じて,一八世紀のどんな発明も一個人に属することのいかに少ないかを証明するはずである。今までには,こうした著作はあらわれていない」(『資本論』第1部第13章第1節,389ページ)
先にも述べたように,技術の進歩は外化をともない疎外を必然的にはらむ。あらゆる実践は技術的であり,必然的に疎外をはらむ技術へのたえざる批判が必要である。伝統的な文化のアウラが複製技術によって消え去ってしまうと,自己目的化された技術自体のアウラ化がすすみ,技術信仰,技術決定論が生まれる。精神的生産の手段を欠いた奴隷による技術決定論は「明るいニヒリズム」としてファシズムを支える。イデオロギーの終焉がうたわれる時代,坂村健がすすめる「すべての文字をコード化してコンピュータでつかえるようにする」東大明朝や「映画フィルムをオリジナルそのままに修復し保存する」デジタル小津などのプロジェクトは,その主体の動機を「無名性・透明性」によって隠している。「デジタル小津」展の図録の奥付ではデザイン・坂村健と明示しているが,彼はいったいどんな規準で何を目標に「修復」するというのだろうか。その無自覚は,ためらいもなく主張する歴史の保存が実は歴史の改竄であるというさかだちへの無自覚でもある。原理的にありえない客観性や中立性の名のもとでの不透明な意思は,コンピュータ技術をかくれみのにしている。マックス・ヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905年)で技術進歩のはての「精神なき専門人」の出現を予言していた。

4 文字の本質であるフォーマットを奪いかえせ! ページネーションにおいて,ひと連なりの文字の本質は,その存在,すなわちフォーマット・デザインである。フォーマット・デザインが死ねば,文字も生きられない。汚染された大気と人類との関係と同様だ。フォーマットや大気の「公共性」を逆手にとった収奪者が出現する。資本主義はすべてを商品化するからだ。フォーマットの収奪,大気の収奪は断じて,許せぬ。フォーマットを,大気を奪いかえせ!
では,どのような社会で,自由な労働が実現するのだろうか。理念としては中国のプロレタリア文化大革命のなかでかかげられた《一専多能[★3]》のスローガンが今なお有効ではないか。だれでもがどの仕事にもつける,そのうえでたまたまある仕事を専門としているという関係がそれである。
「[…]資本制的な私的所有は,自分の労働を基礎とする個人的な私的所有の第一の否定である。だが,資本制的生産は,自然過程の必然性をもって,それじしんの否定を生みだす。これは否定の否定である。この否定は,私的所有を再建するわけではないが,しかも資本主義時代に達成されたもの――すなわち協業や,土地の・および労働そのものによって生産された生産手段の・共有――を基礎とする個人的所有を生みだす。」(『資本論』第1部第24章第7節,803ページ)
マルクスが描いた自由な労働のイメージは,生産手段の共有を実現したもとで個人所有が再建され,そのときに〈俺のものはお前のもの,自分のものはみんなのもの〉という社会がやってくるというものだった。しかし理念の可能性は,現実を止揚する現実の運動によってでしか現実性に変えることはできない。権利はその権利の主体たる〈私〉が,まず自分の権利を自分自身の努力によって実現しようとする動機から始まるものであり,そういう志を共に持つ〈私たち〉が互いに保障しあうところに生まれ育まれるものだ,と私はおもう。権利をもともと国家や社会に存在するものと考えたり,天から降ってくるものととらえるなら,〈私〉と〈私たち〉の権利は,永遠に確立されることはないだろう。〈個別S(鈴木)〉の権利,許せぬ!という想いに裏づけられた権利は,背後に存在する〈無数のS´〉の権利としてでしか実現できない。ここにS´共闘の土台があり,そして,だれがだれをも代理も代弁もせず,だれがだれをも組織しない,およそ組織らしくない〈組織〉として《知恵蔵裁判を読む会》が生まれたのだ。
知恵蔵裁判は,印刷の技術と業態の激変によって職人仕事が消失していくなかで,〈こしらえる〉質感と〈わかる〉楽しさを取り戻そうとした。権利は人間の自己表現行為のなかにあるとし,収奪を許せぬ!とした地上からの異議申立て,すなわちデザインのフォーマットが,権利はモノに貼りついているとする天上からの法のフォーマットとぶつかるのは必然だった。知恵蔵裁判は,急激にすすむ技術信仰が何をもたらすのかを問い,自然権としての労働をうばいかえそうとする闘いの始まりだった。
冒頭の問いにもどろう。権利をみとめないところに公開も共有もありえないのだ。俺のものをみんなのものにするためには,まず目前の権利を認めなければならない。鈴木一誌は「権利を置き去りにするためには,権利が認められていることが前提ですね。認められた権利を行使しない,ここに意味がある」[本書279ページ]と明解に述べている。そう,すべてが転倒した社会だからこそ,急がば回れ,なのである。


★1 ページネーション・マニュアルは1996年末,鈴木一誌が作成・提案した,デザインから組版,製版,印刷にわたる基本マニュアル。「求めるものは,金銭的対価ではなく使用例や批評である」として,複製と共有を積極的に認め,広く公開された。 〈戻る〉
★2 カール・マルクス『資本論 第1部』の引用はすべて河出書房新社版(1964年)の長谷部文雄訳。ただしページ数は底本のドイツ語原典のページ数である。 〈戻る〉
★3 自由な労働の社会と「一専多能」については,東京地区解放大学運動(DIC)の総括を経て生まれた共産主義青年団の土方健氏のご教示による。 〈戻る〉

(2000年11月22日)
(おわり)


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